雄大な岩木山を望む「ふじ」の生まれ故郷を訪ねる - 藤崎

岩木山
夕焼けに浮かび上がった岩木山のシルエット

一粒ひと粒に愛情込めて

青森空港から国道7号線へ出て藤崎町方面へ向かうと、目の前になだらかな裾野を広げた岩木山が見えます。藤崎町へ入って少し経った頃、両側に広がっていた稲田の景色がリンゴ畑に変わりました。ここは、日本のリンゴ収穫量の55%を占める品種「ふじ」の誕生の地です。

今や海外にもそのおいしさを知られる青森リンゴの始まりは、明治初頭にさかのぼります。1871(明治4)年、日本に初めて西洋リンゴが輸入され、当時の内務省勧業寮から各県へ苗木が配られました。青森県にも3本が届きました。同じ頃、弘前市の東奥義塾に招かれた宣教師が教え子や信者に西洋リンゴを紹介。

リンゴ栽培は明治維新で職を失った旧津軽藩士を担い手の中心として広がっていきます。その後、弘前市に設立された化育社を先駆けに、リンゴ栽培を目的とした組織が津軽各地に発足。栽培技術の向上や病虫害の研究、品種開発が進み、リンゴ産業の発達を招きました。

藤崎には明治18年に株式組織、敬業社が発足し、地域のリンゴ栽培熱が高まっていきました。昭和13年には、寒冷地での園芸作物研究を目的に農林省園芸試験場東北支場が開設され、ここで新品種ふじが誕生することになります。ふじは「デリシャス」の花の花粉を「国光」のめしべに交配して出来た品種で、昭和37年に品種登録されました。

果汁が豊富で甘みと酸味のバランスが良く、シャキっとした歯ごたえがその特徴。名前は、藤崎町の町名と、日本一の富士山にちなみます。藤崎町にあった試験場は、ふじ誕生から間もなく岩手県盛岡市に移転し、ふじの原木も盛岡に移植されました。町内ではその原木から株分けされた木が育っています。全国で唯一の「りんご科」がある県立弘前実業高校藤崎校舎の農場内に作られたふじ原木公園に、生徒たちの手で栽植されました。


9月末、岩木川の河畔にある野呂與志勝さんのリンゴ畑では、ふじの袋を外す作業が行われていました。袋は二重になっていて、外側の袋を外して4日で残った袋も外し、徐々に色付きを促していきます。袋がけをすることで、奇麗な赤色に色付き、皮が薄く柔らかくなって、日持ちも良くなります。一方、袋をかけずに日光をたっぷり浴びて育ったものは「サンふじ」と呼ばれ、より強い甘みを持ちます。

リンゴは日光が当たった部分が赤くなり、甘みも増します。そのため、影になっていた部分にも日光を当て、全体をムラなく色付かせるために、実を優しく回転させる「玉回し」の作業を行って、収穫の時を待ちます。

ふじ
ふじの袋がけ

リンゴ栽培で最も大切なことは何か、野呂さんに尋ねてみました。答えは、愛情。一粒ひと粒に愛情込め、手間を惜しまずに育てることでおいしいリンゴになると、野呂さんはぬくもりある津軽なまりで教えてくれました。

ヒバ曲げ物
ヒバ曲げ物

失われつつあるヒバ曲げ物の手技

青森の代名詞とも言えるリンゴですが、意外なことに青森県の木に制定されているのは「ヒバ」です。昭和45年に行われた県民による投票で、リンゴとアオモリトドマツを抑えて選ばれました。ヒバはヒノキ科アスナロ属に分類される日本固有の樹種で、8割以上が青森県内に生息し、主に下北半島と津軽半島に分布しています。

ヒバは成木になるまでに長い年月を要します。薄暗い森の中で何十年も幼樹のまま生き続けて、倒木などで日光が入るようになると旺盛な成長を始めます。用材として利用されるのは樹齢200年以上のものです。厳しい風雪に耐えながらゆっくり時間をかけて年輪を重ねたヒバは、緻密で狂いが少なく、木目細やかで美しい木材となります。

そのため藩政時代には、ヒバ山は厳しい管理下に置かれて保護されました。ヒバ材は耐久性が強く、強力な抗菌作用を持つことから、この地方では建物の土台にはヒバが最良とされます。また水がしみ込みにくいことから、さまざまな生活用具にも用いられてきました。

藤崎町の境勇三さんはヒバ曲げ物の職人で、県の伝統工芸士に指定されています。境さんが曲げ物師だった父の元で修行を始めたのは戦後間もない頃。当時は青森や弘前に何人もの職人がいましたが、現在は86歳(取材当時)になる境さんただ一人になりました。戦後しばらくは、せいろなど日用品の注文が引きも切りませんでしたが、生活様式の変化と共に曲げ物はプラスチック製品に取って代わられました。

曲げ物の工程はまず、ヒバの丸太を板状に割ることから始まります。それをカンナで削り、熱湯に漬けて柔らかくして、「ゴロ」と呼ばれる丸太に巻きつけます。たったそれだけで、板はしなやかに丸みを帯びます。筒状に丸めたら木ばさみで固定し、接合部を山桜の皮で縫い留めて、底板をはめます。作業が全て手仕事なら、使っている木製の道具もほとんどが手製です。

ヒバ曲げ物
昔はどの家にもあったという長径30cmほどのおまる

境さんが、以前よく作ったという「おまる」を見せてくれました。思いの外小ぶりで、外側は黒、中は朱色の漆が塗られています。かつては母屋とは別に便所がある家が多く、冬期にはこのおまるを枕元に置いていたと言います。昔を懐かしむ人から製作の依頼がきたこともありますが、既に塗りの職人もいなくなり、今や幻の道具となってしまいました。

2016年取材(写真/田中勝明 取材/河村智子)

▼青森県藤崎町

津軽平野のほぼ中央に位置します。前九年の役(1051年)で源頼義・義家の軍勢に破れた奥州の豪族・安倍氏の遺児高星丸がこの地に落ち延び、後の藤崎城を築いて安東氏を興したと伝えられます。安東氏は鎌倉時代に幕府から蝦夷管領に任じられ、やがて日本海に面した十三湊を拠点に下北半島から出羽国まで所領を広げました。米やリンゴ、ニンニクの栽培が盛んで、リンゴの主要品種「ふじ」発祥の地。町内を流れる平川と岩木川には毎年12月から3月頃まで白鳥が飛来し、雪の岩木山を背景に群れる白鳥の姿を見ることが出来ます。
【交通アクセス】
JR奥羽本線の北常盤駅、五能線の林崎駅、藤崎駅があります。
町中心部まで青森市から約25km、弘前市まで約9km。東北自動車道大鰐弘前ICから約30分。

五能線
JR五能線

写真説明

●ふじの袋がけ:袋がけには奇麗に着色するだけでなく、貯蔵性を高めるメリットもあります
●ヒバ曲げ物:がっしりとした手でかんなを握る境さん。用材は津軽地方で育った樹齢300年のヒバ。とりわけ厳しい風にさらされて育つ下北半島のヒバは、硬すぎて曲げ物には向かないのだそうです
●JR五能線:林崎駅付近では、リンゴ畑の間を走ります


●鮮やかに色付いて収穫を間近に控えた紅玉

●県立弘前実業高校藤崎校舎の農場にあるふじ原木公園

●曲げ物を作るための木製の道具もほとんどが手製


●ヒバ曲げ物のせいろとひしゃく、わっぱ、ひつ

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