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寒風剣山おろしに揺れる、庭先の極太手延べそうめんを訪ねて - つるぎ

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「そうめん」か「冷や麦」か 第一印象は「そうめんにしては太い」でした。三輪(奈良県)や小豆島(香川県)、播州(兵庫県)のものと比較すると、確かに阿波徳島の半田そうめんは太いのです。特に決まった太さはありませんが、他の産地のそうめんが0.6mmから1mm未満なのに対し、半田そうめんの麺の太さは1.2mmから1.5mm程度。最も太いもので1.8mmもあります。 実際、この半田そうめんを「そうめんではなく冷や麦」と指摘する人もいます。日本農林規格(JAS)によると、断面の直径が1.3mm未満をそうめん、1.3mm以上1.7mm未満を冷や麦、1.7mm以上はうどんと定義されており、これによると半田そうめんは分類上では冷や麦、太いものにいたってはうどんです。正確には「半田冷や麦」という名で呼ぶべきなのでしょうか。 「6年程前に農水省に冷や麦と名を変えるべきだと指摘されたことがありましたが、江戸時代から続く名物ということでその案は却下されました。今では半田そうめんの名は登録商標となっています」 とは、半田そうめん組合の瀧原満さんの談。現在「半田そうめん」の名を使用出来るのは、その名の通り旧・半田町(つるぎ町)内で製造している事業所に限られています。 それにしてもなぜ麺が太いのでしょう。半田そうめんの起源には諸説ありますが、天保時代に吉野川河畔で農家の副業として作られたという説が有力です。製法を伝えたのは、吉野川を舟で行き来していた船頭たち。今の奈良県三輪町の三輪そうめんの製法がベースになっていると言われます。 「見よう見まねのにわか仕込みでは、そうめんを細く延ばすことは難しい。船頭の技術が未熟だったためにここのそうめんは太くなったようです」 と瀧原さんが話せば、同じくそうめん生産者である竹田厚美さんは、 「小麦粉の質の問題で太くせざるを得ないという事情もあったようです。でも、腰が強く、延びにくく、独特の食感を味わうことが出来るのはこの太さのおかげ」 と誇らしげです。 秋から冬にかけ、阿讃山脈から「剣山おろし」と呼ばれる寒風が吹き始めると、半田のそうめん作りはいよいよ最盛期を迎えます。 冬到来、青空に純白のそうめん 農閑期の副業として広まったつるぎ町のそうめん作り。一時は300軒程あった生産者も今では40軒。それでも年間25億円を売り上げる町の主要産業です。澄みわたった青空に白い

鳴門の潮が育んだ王様と呼ばれたサツマイモ - 鳴門

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甘さの秘密はミネラル豊富な海砂 蒸したてを二つに割ると、鮮やかな紅色の表皮に映える黄金色の中身が現れました。見た目の美しさは期待を裏切らず、栗のようにホクホクとした食感の後に際立つ甘さが舌の上を走ります。鳴門金時は、サツマイモのメジャー品種である高系14号の改良種に付けられたブランド名で、吉野川及び旧吉野川の河口域に広がる特定の地域で栽培されたものだけが名乗ることが出来ます。その甘みの強さから「サツマイモの王様」とも形容され、質の高さでその名は全国区です。 吉野川の河口域は、もともと稲作が行われていた地域です。平野部には一面水田が広がっていましたが、海岸沿いは塩害がひどく、海水にまみれた砂地が大半を占め、実際には米はおろか野菜作りにも適さない土地でした。そこで白羽の矢が立ったのが、塩害にも強いサツマイモです。サツマイモ栽培に適している土壌は、普通の野菜とは違い水はけの良い場所になります。砂地は願ってもない好条件でした。また、鳴門市周辺は1年を通して温暖で降水量が少なく気候も生産に適していました。こうして昭和40年代初め頃から、稲作からサツマイモ栽培に転じる農家がポツポツと現れ始めました。鳴門市大津町の林勝さんもその一人です。サツマイモ栽培の第一歩は土壌改良です。水をため込んでしまう水田に大量の砂を入れ、水はけの良い畑に作り替えました。 「粒子が細かすぎる川砂ではどうしても水が詰まってしまうので、畑に入れたのは近くの海で採取した粗めの砂。ただ、入れたての砂には随分塩分が含まれていたので、最初の頃は良い形のイモが出来ず苦労しました。雨が塩気を流してくれるまでに2~3年はかかりました」(林さん) 砂地畑からほどよく塩分が抜けると、鮮やかな皮色と美しい紡錘形をしたサツマイモが出来るようになりました。また、海砂にはもう一つ別の効果もありました。海水のミネラル分を豊富に含んだ砂地畑で育てた結果、糖度が格段に上がったのです。同じ苗を別の土地で栽培しても、この色、形状、糖度は出ないというから不思議です。 寝かせるほどにうまくなる 鳴門金時の栽培準備が始まるのは、まだ花冷えのする4月の初めです。砂地畑に高い畝を作り、それを黒いビニールで覆った後、等間隔で穴を空け、温室で育てられていた苗を手作業で植え込んでいきます。この時、畝に対して苗を斜めに植え込むと、均一で食べやすい大きさの芋が鈴

さまざまな表情を見せる水都・徳島の魅力 - 徳島

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シラスウナギ漁 吉野川の冬の風物詩シラスウナギ漁 徳島市には大小138もの川が流れています。その代表格が「坂東太郎」の利根川、「筑紫次郎」の筑後川と並び称される「四国三郎」こと吉野川です。 冬の夜、その吉野川河口で、幻想的な光景が見られます。漆黒の川面に黄色や緑色の光が浮かび上がり、遠目からはまるでホタルが飛び交うように見えます。これはウナギの稚魚、シラスウナギを追う漁師たちの船で、吉野川のシラスウナギ漁は夜間、川面をライトで照らして行われます。 潮に乗って遡上してくるシラスウナギを狙うため、大潮前後の干潮から満潮にかけてが漁には最適。また光を使う漁法のため、大潮でも満月の時は不向き。取材をしたのは2月26日の新月で、深夜1時頃に干潮、朝7時前に満潮の予想でした。吉野川河口にある徳島市第一漁業協同組合の和田純一専務理事に伺ったところ、条件的には未明の2時から5時頃が一番いいだろうとのことで、時間を見計らって吉野川へ向かいました。 和田さんも、以前はシラスウナギ漁に出ていましたが、シラスウナギは風のある日の方が多いそうで、強い風が吹く冬の夜中に水しぶきを浴びながらの漁はきついため、最近はもっぱらマスコミや写真愛好家の対応を引き受けているそうです。 「風が弱い日を狙って年に2、3度、川に出てみることもあるんですが、私が行くと、若い漁師から『今日は和田さんが来てるからだめだ』などと言われ、からかわれます(笑)」 和田さんはそんな話をしながら、漁や船について説明してくれました。 シラスウナギは、体長5cmほどで、細くて半透明。冬から春にかけ、黒潮に乗って東アジア沿岸を回遊し川を上ります。日本では吉野川を始め鹿児島や宮崎、高知、静岡などの川に遡上します。徳島の漁期は12月15日から翌年4月15日まで。国内の漁獲量はピーク時には年間200トンを超えていましたが、近年は大幅に減少、10トンを下回る状態が続いています。 夜間、吉野川の川面をライトで照らして行われるシラスウナギ漁 以前は直接川に入り、岸部近くで漁をしていましたが、現在は船に発電機を積み、船尾に集魚灯を付けての漁が一般的。吉野川では600Wから1KWのLED電球で川面を照らし、舵を股で挟んで船をバックさせながら、川面に浮かぶシラスウナギを