柳行李のクラフトマンシップが流れる、鞄の街生まれの国産ブランド「豊岡鞄」 - 豊岡
鞄の街、豊岡のルーツ 兵庫県北部、但馬地方の中心都市、豊岡市。志賀直哉の『城の崎にて』で知られる城崎温泉があり、国内最後のコウノトリ生息地として有名なこの街は日本最大規模の鞄の生産地でもあります。メーカーや卸商、材料商など17社で構成される全国で唯一の鞄関連企業の工業団地を擁し、最盛期には国産鞄の約8割を生産しました。 豊岡の鞄産業のルーツを探っていくと、この地で生まれ、但馬の風土に育まれて今日に至る地場産業・杞柳細工にたどり着きます。奈良正倉院に伝えられる柳で編まれた「柳筥」は、豊岡のある但馬地方から上納されたものと言われています。植物を編む古来のこうした技術が、街の中心を流れる円山川流域に自生していたヤナギの一種「コリヤナギ」と結び付き、豊岡に杞柳細工が定着しました。 今でこそ少なくなりましたが、真冬の田んぼにゆうに3mはあるコリヤナギの枝の束が立てられている光景を豊岡で見かけることがあります。束のまま越冬させ、春先に4〜5本ずつまとめて水田に挿すと1カ月もすれば枝から新芽が出ます。この時、枝の表皮を剥いで中身を乾燥させると、杞柳細工の原材料となります。これを麻糸で編んで作った柳行李は江戸時代、当時の藩主によって保護奨励され専売制度が確立。「豊岡の柳行李」として世に知られるようになります。 「コリヤナギには特殊な成分が含まれているため虫が付かない。軽くて通気性に優れ、耐久性も兼ね備えているので、衣類を守るケースとして古くから重宝されてきました」 と、兵庫県杞柳製品協同組合の田中榮一理事長は柳行李の優れた点を説明します。 江戸時代の飛脚は大切な文書を雨から守るため、富山の薬売りは薬を湿気から守るため、この柳行李を使っていました。明治に入ると、柳行李に3本革バンドを取り付けたトランク型の「行李鞄」が登場。この行李鞄こそが豊岡製鞄のルーツです。箪笥一棹分の衣類を詰めて、2階から投げても壊れない強度が売りであったため、軍用にも採用されました。 時代の流れ、新素材の開発、そして地域の業界人の先取の気性によって、柳行李・行李鞄は、メイド・イン・ジャパンの豊岡鞄として日本全国の販路へと流通していくのです。 地域ブランド・豊岡鞄の誕生 人工皮革や塩ビレザー、ナイロンを素材とした鞄では全国シェア8割を誇った時代も次第に色あせ、円高による輸入増大や問屋流通の変革によって、豊岡の鞄は