本物と見紛うほどの精巧なミニチュアは、静岡に根付いた工芸技術の集大成 - 静岡
カタログの代わりとなった婚礼調度のミニチュア 3月のひな祭りの主役と言えば、豪華絢爛な衣装を身にまとった男女一対の内裏びなと相場は決まっています。 が、今回の主役は人形ではなく、いつもは脇役のお道具です。箪笥に長持、鏡台、御所車(牛車)、高杯や椀など、小さいながらも本物とほぼ同じ製法で作られる「ひな具」と呼ばれる装飾美術品は、静岡市が国内生産量の約9割を占めています。 ところでこのひな具、今でこそひな壇を華やかに飾るものですが、もともとの用途は異なります。国立博物館発行の専門書をひも解くと、ひな具とは「大名息女の婚礼調度のひな形」とあります。つまり、嫁入り道具のミニチュアです。 大名の息女が婚礼する際に嫁入り道具を誂え、事前に嫁ぎ先にその内容を知らせるのですが、調度品は数十種類から多い時で数百種にも及びます。数量も大きさもあるため、持ち運ぶことが出来ません。 そこで、今でいうカタログの代わりに本物と同じ作り方で小さなひな形を作り、嫁入りする大名家の家老が先方の大名家へ持ち込んで婚礼調度を披露しました。これがひな具の本来の用途です。 だからひな具の箪笥の中には、四季の着物から装身具、小物に至るすべてが入っていました。最近ではそれほど手の込んだものは見られなくなりましたが、大正時代に作られた高松宮妃殿下のひな具はこうした伝統を受け継ぎ、中身まで作られています。 静岡でひな具が盛んに作られるようになったのは江戸初期。徳川家康が死去した後、その遺命により当時の最高の技術と芸術をもって久能山東照宮が造営されました。また幕府の祈願所として浅間神社の大造営も行われ、全国から木地指物、挽物、漆器、蒔絵といった腕利きの職人が集められました。 職人たちの中には建物が完成した後も駿府に残る者が現れ、その優れた技術を広めていきました。中でも漆器作りは温暖多湿な気候が合っていたこともあり、この地の産業として定着。後にこうした漆職人らがひな具の製作にかかわることになります。 装飾品であるひな具には、華麗な加飾方法である蒔絵もふんだんに施されました。静岡を中心に発達した蒔絵は、漆面に金や銀、錫粉を蒔きつける他、卵殻や貝を張って加飾します。 デザインの斬新さと変わり塗の多様さが相まって、「蒔絵だけは静岡で」と言われるほど技術的に高く評価されています。ミニチュアとはいえ、唐草模様や花鳥風月が描かれた