発見から60年。町民が愛し育んだ伊豆半島・河津桜のふるさと - 河津

河津桜原木
河津桜原木

町を薄紅色に染める8000本の桜

伊豆急行河津駅から天城山方面へ向かう町道を1kmあまり進むと、右手に1本の桜の木が立っています。民家の庭先で大きく枝を広げたこの桜が、河津桜の原木です。

樹齢60年。やや樹勢が衰えてきたといいますが、薄紅色の花を枝いっぱいに咲かせています。早咲きの桜として全国に名をはせる河津桜は、ここで偶然の発見から生まれました。

1955(昭和30)年のある日、この家の主の飯田勝美さん(故人)は、河津川の川辺の草むらに生える高さ1mほどの桜の苗木を見つけ、持ち帰りました。庭に植えてから10年後に咲いたその桜は、他の桜とは大きく異なっていました。寒気厳しい1月末に開花すると、それから1カ月にもわたって咲き続けました。濃い紅色のつぼみは、開くと色が淡くなっていきます。周辺の人たちは、一足早い春を告げるこの桜を飯田家の屋号をとって「小峰桜」と呼び愛でました。

この不思議な桜は、静岡県有用植物園(現・伊豆農業研究センター)の調査で新品種と判明し、伊豆半島に自生するオオシマザクラと早咲きのカンヒザクラが自然交雑したものと推定されました。そして74年に「カワヅザクラ」と命名。翌年には河津町の木に指定されて、町民の間に桜を植える動きが広がっていきます。

まずは観光協会のメンバー有志が河口付近や駅の周辺に200本を植えました。地元の河津ライオンズクラブも100本、また100本と植え、商工会青年部や住民グループなども植樹を行って、やがて堤防沿い4kmにわたり800本の並木が出来ました。河津川だけでなく民家や公園、国道沿いなどにも植えられて、今では町内の河津桜は8000本を数えます。

町の人々には、いずれは桜まつりを開きたいという思いはありましたが、8000人に満たない町に100万人もの人が訪れることになろうとは、誰も想像すらしていませんでした。

第1回河津桜まつりは91年2月に開かれました。開花期間が長いため、桜まつりの期間は毎年2月10日から3月10日までの1カ月間と長くなっています。第1回の来客数は約3000人でしたが、翌年以降は10倍、20倍の勢いで増加。最も多かった2008年には125万人に達しました。


どんな花も年によって開花時期が違うのは当たり前のことですが、河津桜の開花予想は特に難しいのだと言います。1月のうちに咲くこともあれば、2月後半まで遅れることもあり、開花を待ち望む人たちを悩ませます。取材した年も年初の時点では早い開花が予想されていましたが、満開宣言が出たのは2月25日。ここ数年は遅めの傾向にあるそうです。

河津町では2013年、河津桜守人マスタープランを策定しました。15年からは新たに「桜守人制度」を設け、町内23の地区ごとに守人を育成し、桜に関する情報収集や保護の担い手になってもらっています。町民が育んできた桜を町を挙げて守り、次世代へと残していこうという計画です。

千年の時を超え平安の仏と触れ合う

河津桜が有名になる前は、河津と言えばまず川端康成の小説『伊豆の踊子』の舞台として知られていました。主人公の学生と旅芸人の一行は天城峠を越え、ふもとの湯ケ野温泉に投宿します。作品はこれまで6回映画化されて、旧天城トンネルや河津七滝、山間のひなびた温泉宿の情景が旅情をかきたてました。国の重要文化財に指定されている旧天城トンネル周辺には、踊り子たちの歩いた山道の風情が今もそのまま残っています。

旧天城トンネル
旧天城トンネル

花見に、温泉に、多くの観光客が訪れる河津ですが、この地に千年以上にわたり守られてきた平安時代の仏像があることは、あまり知られていません。谷津地区にある南禅寺には、9世紀前半から11世紀の一木造の仏像26体があります。南禅寺は無住の寺で、仏像は集落の人々によって守り伝えられてきました。毎年4月8日の祭にはお堂に集って僧侶に経を上げてもらい、昔からの言い伝えや仏像のいわれを語り合います。

仏像は現在、13年に国と県の補助を受けて境内に建てられた河津平安仏像展示館に収められています。

南禅寺本尊薬師如来坐像
南禅寺本尊の薬師如来坐像
「学術的な説明は出来ませんが、集落の先輩たちから教えられてきたことをお話しします」
案内役の鴬生忠義さんはそう断った後、調査に当たった研究者の見解も交えながら詳しく解説してくれました。

南禅寺のある山の中腹には、奈良時代に開かれた那蘭陀寺という大寺院がありましたが、室町中期の1432年、裏山が崩れて堂宇は土砂に埋もれてしまいます。言い伝えによれば、本尊の薬師如来坐像と地蔵菩薩立像、十一面観音像は地表に姿を出していたために救い出され、村人はお堂を建てて安置しました。そのためこの3体の仏像は大きな損傷がなく、表面に黒い艶を帯びています。

その他の23体の仏像は山崩れから100年余り後、仏谷と呼ばれていた谷から掘り出されました。手足を無くし、多くは輪郭が失われていますが、中には細かな装飾までくっきりと残した像もあります。粘土質の赤土に包まれ密封状態になっていたためと考えられています。

その一つが、「おびんずるさま」として村人に親しまれてきた平安後期作の僧形坐像。自分の身体の悪い所と仏像の同じ部位を交互になでると良くなるというなで仏です。展示館に移される際、研究者からは平安の木造に触れるなどもっての外と言われましたが、これまで通りに信仰したいという地元の人たちの希望で、今も直接手で触れることが出来ます。木材をふんだんに使った展示室は設計段階では仏像の前にガラスを入れる予定でしたが、これも地元の希望により、間近で直に見られる展示にしました。

「11世紀の仏像に直に触れられるのはここだけだそうです。ただ、もう少ししたら、禁止されてしまうかもしれません」
そう話す鴬生さんの表情は、いかにも残念そうでした。

2015年取材(写真/田中勝明 取材/河村智子)


▼静岡県河津町

伊豆半島東岸に位置し、天城山に発して相模灘へ注ぐ河津川の河口一帯に市街地が広がります。町内には湯ケ野、七滝、峰、今井浜などの温泉郷があり、古くからの保養地として多くの文豪が訪れました。川端康成ゆかりの宿がある湯ケ野温泉は『伊豆の踊子』の舞台となりました。町内で発見された河津桜は早咲きで花期が長いことで知られます。町には8000本が植えられており、2月10日から3月10日の1カ月にわたって開かれる河津桜まつりには、100万人の観光客が訪れます。
【交通アクセス】
伊豆急行河津駅へ熱海駅から1時間半。東京駅からは2時間40分。
東名沼津ICから伊豆中央道、修善寺道路を経由して約60km。東名厚木ICから真鶴道路、熱海ビーチラインを経由して約113km。

写真説明

●河津桜原木:河津町田中に生育する樹齢60年の原木。つぼみの紅色が濃く、花びらが大きいのが特徴です。下向きに花を咲かせるので、見上げると花弁がよく見えます
●旧天城トンネル:1904年に開通した全長445.5mのトンネルで、日本に現存する最長の石造道路トンネルです。「踊り子ハイキングコース」など周辺にいくつかのハイキングコースがあります
●南禅寺本尊の薬師如来坐像(平安前期・静岡県指定文化財):昭和15年に現在の東京国立博物館で開かれた「日本薬師如来展」に国宝として展示されましたが、町では条件を満たす施設整備が出来なかったため、従来通りの県指定文化財になったといいます


●100度の源泉を吹き上げる峰温泉の自噴泉

●商工会が企画開発した特産わさびの「泣けるグルメ」シリーズ。上から「河津鮎泣きそば」「泣きめし」「泣きべそ餅」(協力:海鮮どんぶりや)

●天部立像(平安前期・静岡県指定文化財/写真両端)は、欧州3カ国で巡回展示された際、ギリシャ彫刻に匹敵すると絶賛を浴びました

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