信楽たぬきと、甲賀忍者の里 - 甲賀

信楽焼のたぬき

たぬきが出迎える街

「信楽大仏」「近江の大仏様」

ひょっとすると、そんな名になっていたかもしれません。

というのも、聖武天皇が大仏建立の詔を発したのは、現在の甲賀市信楽町に造営中だった紫香楽宮でのことでした。東大寺の大仏は元々、信楽に造立される予定だったのです。ところが、周辺で山火事が相次ぐなど不穏な出来事に見舞われたため、大仏造立計画は中止に。信楽大仏は幻となりました。

奈良時代には既に、天皇が行幸出来る道路が整備され、信楽は近畿と東海地方を結ぶ交通の要衝でした。大消費地である京や奈良へのアクセスに優れていただけではなく、良質な陶土が豊富だったため、早くから焼き物が焼かれました。中世には備前、丹波、越前、瀬戸、常滑と共に日本六古窯の一つに数えられます。

信楽焼の特徴は何と言っても火色(緋色)と呼ばれる人肌を感じさせる温かい発色です。1200度で焼き締めると、土に含まれた石が適度にはじけ、独特の肌の荒さが生まれます。主に食器などの日用品を中心に茶器や花器なども作られましたが、耐火性に優れた粗い土質は肉厚な大物作りに適していました。あのユニークな表情をしたたぬきの置物も、そんな大物作りの過程で誕生しました。徳利と通帳を持った酒買小僧姿のたぬきが焼かれるようになったのは明治も末のことでした。縁起物として売られました。身に付けている笠は「災難から身を守り」、徳利は「飲食に恵まれる」ことを願ってのものです。大きなお腹は「落ち着いて大胆に決断」出来ることを、尻尾は「何事も終わりは大きくしっかりと身を立てる」ことを表しています。

一躍有名になったのは、1951年に昭和天皇が信楽を行幸した折。沿道に日の丸を持ったたぬきの置物がズラリと並んだ様子が新聞で報道されてからです。最近では、表情もポーズもさまざまなものが作られており、信楽を訪れると街の至る所でたぬきの置物が出迎えてくれます。

甲賀忍者が暮らした家

「甲賀」と聞いて、誰もが思い浮かべるのが忍者でしょう。

甲賀流忍術屋敷
甲賀流忍術屋敷

甲南町には、忍者が暮らしていた本物のからくり屋敷が日本で唯一残っています。修繕や増築はされているものの建物の基本部分は元禄時代のもので、甲南町に多い望月家の総領家の居宅です。総領家は代々望月出雲守を名乗る甲賀忍者の頭目。戦国時代の当主は「甲賀三郎」の異名で知られ、煙を用いた忍術を操ったと言われます。

本物の忍者屋敷ともなれば、どんな仕掛けが施されているのか大いに期待が高まります。説明によると、忍者は居宅にいるところを敵に狙われることも想定の内。不意の敵襲に対しては、迎え撃つのではなく、素早くその場から離れることを最優先としました。

どんでん返し
どんでん返し

屋敷に備えられた「隠し扉」や「からくり窓」は敵の目を欺き自分が逃げるためのもので、左から入ると次は右からしか入れない造りの「どんでん返し」も敵が戸惑う間に逃げるための工夫です。忍者が暗躍した戦国時代ならまだしも、元禄期の建物にもこうした仕掛けが施されていることに、忍者一族の用心深さを感じずにはいられません。もっとも、江戸時代には手裏剣を投げ合うようなことはなく、火薬の調合で培った技術を製薬に生かし、薬売りを生業として全国を行脚したようです。

竹ものさし
竹ものさし
甲賀流忍術屋敷と目と鼻の先に、温かみのある風合いが懐かしい竹ものさしを作る工場があります。戦前に京都から一人の職人が甲南に移り住み、その製法が広まってこの一帯が産地となりました。今では創業1948年の岡根製作所だけが唯一、竹ものさしを作り続けています。

近年はプラスチック製が台頭。竹製も価格の安い中国産が出回って市場環境は厳しくなっています。しかし国産、竹製の需要はまだまだ根強いものがあります。例えば、呉服屋では着物の仕立てに生地を傷めない竹製が重宝されます。使われているのは、単位に尺貫法を用いた特殊な鯨尺です。デジタル化が進んだ新聞社でも、行数を測る倍尺の目盛りが刻まれた竹ものさしが現役。他にも大工が使う曲尺や、陶器尺に凧尺など特殊な用途の注文も多いといいます。年末年始に得意先へ配布するカレンダーなどの代わりに、会社の名前入りの竹ものさしを作る企業もあります。ありふれた販促物とはひと味違って、竹が持つぬくもりも届けられるとあって好評です。

学生たち絶賛の名物料理

市役所もあり、甲賀市の中心である水口には、知る人ぞ知る名物料理が存在します。ソースの味付けがない素の状態で焼いたそばだから「スヤキ」といいます。

スヤキ
水口名物スヤキ
「目の前の高校に通う学生向けにそばを出していましたが、『脂っこいものがほしい』という学生の要望から、親父が青ネギを入れて麺をラードで炒めて出したのが始まり」と話してくれたのは、谷野食堂のご主人谷野義明さん。これが1958年頃の話と言うから、このスヤキは60年にわたって学生たちのお腹を満たしてきたことになります。その味は口コミで近隣に広がっていましたが、2012年に人気テレビ番組で紹介されると、他県からの客がどっと増えました。魅力は、何と言っても並で280円というその安さです。

「この安さだから味は大したことないだろう、という気持ちで食べてもらえるから、それよりも少しだけおいしいので受けたのだと思います」と谷野さんは謙遜しますが、味は確かです。青ネギともやしと共に麺はラードでしっかり炒められており、好みの量のソースと胡椒、もしくは七味をかけて食べます。麺とラードの甘みが強く感じられ、ソースの酸味によく合う。確かにこれは、ありそうでなかった味かもしれない。
周りを見渡してみると、お客さん全員がスヤキを平らげていました。水口にお立ち寄りの際はぜひお試しを。

2014年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

▼滋賀県 甲賀市

2004年10月1日に甲賀郡の水口町、甲南町、甲賀町、土山町、信楽町の5町が合併して誕生した都市。滋賀県の南部に位置し、三重県と京都府に接しています。忍者の里「こうが」として知られるが、正しくは「こうか」と濁らずに発音します。万葉の頃から一帯には鹿が多く生息しており、鹿深(かふか)の里と呼ばれたていたことが地名の由来。

写真説明

●どんでん返し:日本に唯一残る、忍者が暮らしていた本物のからくり忍術屋敷。中央の半分開いた扉が、どんでん返し
●竹ものさし:右から、新聞社で使う倍尺、片側に目盛りの入った通常タイプの竹ものさし、凧を作る時に使う凧尺
●水口名物スヤキ:具はもやしと青ネギのみというシンプルさと、並みで280円、大(写真)で340円という破格の安さで長年愛され続けています


●信楽焼のたぬきの置物は、信楽町の街の顔

●伝統工芸士の奥田英山さんの元には、薪で窯焚きをしたいという愛好家が県下、遠方を問わず訪れます

●小さな登り窯の火袋を、茶室に改造。奥田さん自ら客にお茶を振る舞います

●東海道49番目の宿場町「土山宿」。県内でも茶の生産量が最も多いエリアで、信楽の朝宮茶と並んで近江茶として有名。旧街道沿いには茶畑が点在します


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