奇岩そびえる山水画の世界、進みゆくはこたつ舟 - 一関

猊鼻渓舟下り
猊鼻渓舟下り

こたつ舟で眺める冬景色

2014年1月、岩手県内の郵便局で県内の観光地を描いた絵はがきセットが発売されました。描かれていたのは、県内お薦め観光地の投票で選ばれた上位10カ所を題材にしたものです。一関市からは、市内東山町にある猊鼻渓が選ばれました。1位の陸前高田市の「奇跡の一本松」に次ぐ堂々の2位です。猊鼻渓の魅力は、高さ50mを超える岸壁が連続する渓谷美。市西部の磐井川沿いには名称がよく似た厳美渓という景勝地もありますが、渓谷を舟下りで鑑賞出来るのは猊鼻渓ならではです。

舟下りの舟は全て船頭らが手作りしたものです。杉の一枚板を貼り合わせて作った舟は、一番大きなもので15mもあり、70人が乗ることが出来ます。

全長2kmほどの行程を、途中徒歩を挟み90分かけて往復します。行きが上りで、帰りが下り。船頭が一本の棹を巧みに操ると、舟は川上に向かってゆっくりと進んでいきます。人力で川を往復するのは日本でもここだけなのだそうです。5月の藤の頃と10月の紅葉シーズンが繁忙期で、1時間に1本の定期便以外に臨時便が増発。ひっきりなしに川を往来します。人出でにぎわう時期もいいですが、シーンと静まり返った渓谷の中、水墨画のようなモノトーンの世界を進む冬景色もなかなかのものです。

12月から2月には、名物こたつ舟が運航。舟の中で食事をしながら景色を眺めることが出来ます。こたつ舟は、冬場の集客対策などを目的に約20年前に登場しました。以来、冬の一関には欠かせない観光スポットとなっています。花巻空港から定期チャーター便が就航したこともあって、台湾から訪れる人も多くいます。旧正月時期ともなると団体客がこのこたつ舟を楽しみに来日するそうです。

舟下りのクライマックスは、船頭が歌う「げいび追分」。そそりたつ岩肌に響き渡り、旅情が一層高まってきます。

石灰岩の東山地区

猊鼻渓が、奇岩連なる景観になったのは、北上川支流の砂鉄川によって長い年月をかけて石灰岩が浸食されてきたためです。猊鼻渓に限らず東山地域は、全体の約25%が石灰岩層という土地柄。だから石灰の採掘場が幾つもあります。JR陸中松川駅のすぐ北側にある旧東北砕石工場もその一つです。

旧東北砕石工場
旧東北砕石工場

幽玄洞
幽玄洞
1924年に開業し、77年まで稼働していた工場では、豊富に取れる石灰岩を砕石して、石灰肥料を製造していました。アルカリ分が豊富な石灰肥料は、酸性土壌を中和させる効果があります。というのも、昭和初期まで岩手県内の大部分の農村が酸性土壌による慢性的な不作に悩まされていました。貧しい農村を救うべく、採石工場は石灰肥料をひたすら作り続けたのでした。

31年、技師としてこの工場にやって来たのが、宮沢賢治です。盛岡高等農林学校で学んだ知識や経験を生かし、石灰肥料の性質を向上させ、セールスマンとして県内はもとより宮城や秋田へと歩き回ったそうです。

砕石工場の遺構は96年に国の登録有形文化財に登録され、現在は「石と賢治のミュージアム」の一部として一般公開されています。

この採石場では日本最古と言われる鍾乳洞も発見されています。石灰岩層の地形にあって洞穴の存在はさほど珍しくはありませんが、80年に有志らがある採石場の洞穴を調査したところ、奥行き130m、高さ2.3mの鍾乳洞が姿を現しました。

鍾乳洞は幽玄洞と名付けられ、その後整備が行われて、現在では総延長500mを見学出来るようになっています。最大の見所は、岩盤上に露出する3億5000万年前の棘皮動物ウミユリの萼の化石を間近で見られることです。鍾乳洞内で見つかることは珍しく、しかもほぼ完全な形というのも他に類がありません。

紫雲石硯と東山和紙

一関で、二人の職人さんの仕事場にお邪魔しました。

紫雲石硯の製硯師、佐藤鐵治さん
最初は、製硯師の佐藤鐵治さん。18歳の頃から祖父を手伝い、見よう見まねで技術を身に付け、伝統的工芸品の紫雲石硯を彫り続けています。

市内東山町夏山で産出される淡紫色の粘板岩は紫雲石と呼ばれ、奥州藤原氏が活躍した頃から知られる石材。江戸時代には仙台藩主が石の採掘を制限し、仙台に運ばせてお抱えの彫り師に硯に仕上げさせました。そのため一般に使われることはほとんどありませんでしたが、この石で彫られた硯は粒子が細かく、墨の下りが良いと書道家からの評価も高いものでした。やすりの役割をする光芒という微粒子を含むのがいい石です。顕微鏡でやっと見えるほどの微細な物質ですが、叩いたり、割ったりする感覚で佐藤さんには光芒の有無が分かるのだといいます。

次いで、東山和紙職人の鈴木英一さんを訪ねました。地名は「ひがしやま」ですが、和紙は同じ「東山」と書いて「とうざん」と読みます。ちなみに、平泉から見て東の方角にある束稲山が京都の東山に似ていたため、境界に当たるこの地方を東山と呼びました。

東山和紙職人の鈴木英一さん
東山での紙すきは800年の歴史があると言われますが、盛んになったのは江戸時代、藩の奨励を受けてからです。原材料のコウゾの繊維が長いのが特徴で、繊維が交差することで丈夫な紙になります。用途は主に障子紙。東北全土に販路がありましたが、特に三陸地方の漁師町でよく売れました。潮風に当たっても東山和紙なら破れず長持ちしました。

畑で育てたコウゾは機械で繊維を砕くが、昔は木の棒で叩きました。夕方も6時頃になると、どこからともなく小気味良くトントンッと聞こえてきます。学校から帰ってきた子どもがよくコウゾ叩きを手伝わされたそうです。鈴木さんにとっては、記憶の中に響く懐かしい音です。

ここは餅の聖地

一関の人々は、老いも若きも、とにかく餅をよく食べます。正月はもとより、桃の節句やお彼岸に七夕、冠婚葬祭にも必ずと言っていいほど餅が出ます。ルーツは江戸時代にさかのぼります。有数の米どころだったことに加え、伊達藩由来の礼儀作法が結びつき独特の「もち食儀礼」が生まれ、庶民へと広がりました。

種類も豊富で、あんこやずんだ、ゴマといったポピュラーなもの以外にも、エゴマの実をすりつぶした「じゅうね」や、ごぼうをすり下ろして焼きどじょう(最近では牛肉やキジ肉)を合わせて食べる「ふすべ」など珍しいものもあります。市内の料理店では気軽に食べられる餅料理を用意していて、この地に根付く餅文化でふるさとを盛り上げようという気概が感じられます。

2人1組になって5分間の制限時間に、1個10gの餅を何個食べられるかを競う「全国わんこもちレース」なる早食い競争もあるそうなので、機会があれば挑戦してみてはいかがでしょう。

ただし、餅を喉に詰まらせないよう、くれぐれもご注意を。

2014年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

▼岩手県 一関市

岩手県の南端に位置し、南は宮城県、西は秋田県と接します。東北地方のほぼ中央、仙台市と盛岡市の中間にあり、古くから交通の要衝として栄えました。江戸時代には、岩手県のほとんどの地域が南部藩であったのに対し、県南の一関地方は伊達藩に治められていました。2005年に1市4町2村が、11年に1町が合併し、新たな一歩を踏み出しました。

写真説明
●旧東北砕石工場:宮沢賢治が晩年技師として働いた工場で、現在は「石と賢治のミュージアム」として一般公開されています。当時は砕石工場と石場の間を、トンネル内に敷設されたトロッコ軌道を使って石灰石を運搬していました
●幽玄洞:3億5000万年前の地層に属する日本最古の鍾乳洞と言われ、1980年に発見されました。洞窟内には地底湖があり、静寂の中ひっそりと水をたたえています
●紫雲石硯の製硯師、佐藤鐵治さん:自宅の仕事場で長年使い込んできた仕事道具と共に
●東山和紙職人の鈴木英一さん:紙すきは冬の仕事です。すく時に必要なトロロアオイの独特の粘りは、寒い時にこそ効果を発揮します


●猊鼻渓舟下りの冬の名物こたつ舟。舟全体がフードで覆われ、その下でぬくぬくと食事をすることも出来ます

●東山和紙は丈夫で長持ち。主に障子紙として利用されてきました

●正月はもとより、桃の節句やお彼岸に七夕・・・。一関地方では、事あるごとに餅を食べる文化が根付いています。種類も豊富で、約300種類もの餅料理が伝えられています

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