心穏やかな時間を過ごす宿坊体験と身延参り - 身延

宿坊は旅館と何が違うのか

江戸時代、庶民の間で善光寺参りや大山参りといった寺社参詣が大流行しました。稲の刈り取りも終わった農閑期、大切に積み立ててきたお金を手にしてお参りに出かけた人々の多くは、ひと月もふた月も旅先に滞在しました。そんな彼らが宿として利用したのが宿坊です。

「旅の目的地であった寺院には通常、幾つもの末寺が存在します。身延山にも多い時で百近くの末寺があり、本寺である久遠寺を支えていました。こうした末寺が、遠くから来た信者の宿代わりに使われたことから宿坊の歴史は始まります。身延にも宿坊を足掛かりに、何日にもわたって久遠寺をお参りする方が今も大勢いらっしゃいます」

日蓮宗の総本山、身延山久遠寺の末寺の一つである行学院覚林房の樋口是亮住職は、宿坊の成り立ちについてこのように説明します。本来は修行中の僧侶が宿泊する施設でしたが、時代が下るにつれ一般の参詣者や観光客も利用出来るようになりました。現在、身延には32軒の宿坊があり、そのうちの16軒が参拝客や観光客を受け入れています。最近では部屋やトイレ、空調などが快適に整備され、サービス内容が旅館然としている宿坊が多く、反対にゆば料理や精進料理が自慢の町の旅館もあるなど、宿坊と旅館の違いはほとんど見当たりません。

しかし、昭和の初め頃までの身延はお寺自体がご飯を食べられるか食べられないかという貧しい懐事情でした。だから泊まる方も2合の米を奉納して泊めてもらっていました。

「ここ10年で身延の宿坊はゆばを使った料理を打ち出していますが、以前はどこの宿坊の料理も一汁一菜に近いものでした。町の旅館はこれにせいぜいお刺身が一品加わる程度の質素なものだったと聞いています」(樋口住職)

今は快適なこともあって物見遊山でやって来る人がほとんどで、昔のようにストイックに信仰心から訪れる人はごくわずかです。ただ、瞑想や写経に興味を持つ外国人の来訪は増えており、ホームページに英語版を用意している宿坊もあります。また宗派もこだわりなく、観光で訪れて、住職との何気ない会話をきっかけに悩み事を打ち明け始める宿泊者もいます。本人は幸せそうに見えてもお子さんが引きこもりやいじめで困っているなど、人は何かしら悩みを抱えているもの。宿泊先で自然に悩みを打ち明けられるのも、宿坊ならではの体験と言えるかもしれません。

ロープウェーから望む身延の門前町


身延山宿坊体験の最大の目的と言えば、夏は5時30分、冬は6時から久遠寺本堂で始まる朝のお勤めです。この宿坊は朝勤に参加するための宿泊施設だと言っても過言ではなく、宿泊者には出来るだけ朝勤に参加するようお願いしているほどです。本堂に足を踏み入れると、天井に描かれた迫力ある墨龍が迎えてくれ、その奥にはきらびやかな天蓋や釣灯籠などが配された重厚な空間が広がっています。大太鼓の音に合わせ、大勢のお坊さんが読経する声が低く本堂内に響きわたります。手を合わせて心静かに過ごす早朝のこのひとときこそ、ここでしか味わうことの出来ない貴重な体験です。

料理がうまい、いまどきの宿坊

樋口住職の覚林房は、身延特産のゆばを使った精進懐石が自慢の宿坊です。厨房で腕を振るうのは住職の奥様で女将の樋口純子さん。ゆば料理には並々ならぬこだわりを見せます。ゆばの刺身に市販のしょう油をそのまま使うと、せっかくのゆばの風味が損なわれてしまうからと、しょう油をブレンドするのは序の口で、味噌は一から手作りします。寒さ厳しい2月にスタッフ全員でジャージ姿になって、豆を煮て仕込みます。トマト鍋や豆乳鍋ブームが到来する以前からゆばと豆乳のトマト鍋を開発し、宿の定番料理に仕上げています。ほかにも、フルーツで有名な山梨県らしく、デザートだけではなく料理の素材に旬の果実を使います。住職一家で切り盛りする家族経営の温かい雰囲気の中、手間暇掛けた本格的な精進ゆば料理を頂けるとあって、とりこになるリピーターも多くいます。

覚林房自慢のゆば御前。


食事の準備や配膳、片付けを担当するスタッフがやけに若いので、聞くと高校生や大学生だと言います。彼らは覚林房に寄宿し働きながら身延山高校や身延山大学に通う学生で、全国各地のお寺の縁で覚林房を紹介されてやって来ました。覚林房が無償で預かる代わりに、学生らは寺に奉仕することになっています。日々、お客さんと接する中で、作法や所作を身に付け、お寺での生活を実体験するというわけです。朝は6時に起床。作務衣に身を包んで分担して掃除を行い、お客さんの布団を畳み、朝食の配膳をした後、学校へ。夕方帰ってくると、客間のお茶を下げ、夕食の準備や給仕、風呂を沸かして布団の用意をし、終わったら勉強という毎日を送ります。取材時には高校生の男女が一人ずつと、大学生の男子が一人の他、学校を卒業した後に覚林房の弟子になった男性一人が屋根を一つに暮らしていました。学校を卒業した後は主に、お寺の子の場合は実家に戻り、在家からお坊さんになった者は大きな寺院に就職して、仏の道を歩むことになります。

学生が作務衣姿で奉仕


目の神様を祭る寺

宿坊には悩みを抱えた人の来訪があると前述しましたが、目の神様を祭る覚林坊には、特に眼病を患う人が多く訪れます。目の神様とは身延日蓮宗の中興の祖であり、覚林坊を開いた日朝のことです。開祖日蓮の時代から200年経った頃、日蓮が草庵を結んだ西谷(現在の御廟所のある場所)から現在地へ久遠寺を移転し、その発展に努めた人物です。

日朝にはもう一つ大きな功績があります。日蓮が書いた書物が宝物殿でカビだらけになり、虫に食われているのを嘆き、60歳になってから覚林坊で書写を始めました。寝る間も惜しんで心血を注いだため無理がたたったのか、両眼を失明してしまいます。光を失ってからも南無妙法蓮華経の題目を唱え続けること3年、奇跡的に再び目が見えるようになりました。患った眼病を自ら克服したことから、眼病守護の信仰が生まれ、江戸時代を通じて日朝は目の神様として親しまれました。ちなみに1875年の大火で久遠寺は七堂伽藍を消失しており、その際に日蓮の代表的著作『開目抄』も焼けていますが、日朝の書写があったおかげでその内容を今も知ることが出来ます。子どもの頃、目が悪かった徳川4代将軍家綱も日朝に祈願したところ、たちどころに治ったという話も言い伝えられています。

久遠寺本堂で毎朝行われる朝勤は、身延山参り最大の行事


覚林房を始め、久遠寺の門前町として開けた身延には他にも個性的な宿坊が点在します。また、久遠寺の境内には樹齢400年のシダレ桜があり、登りきると悟りの境地へ至ると言われる287段の石段「菩提梯」など見どころも豊富。ロープウェーで身延山山頂に登れば、奥之院思親閣から富士山や南アルプス連峰を一望出来ます。歴史や自然豊かな身延巡りの足掛かりに、宿坊体験で心穏やかな時間を過ごしてみるのはいかがでしょうか。

2012年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

写真説明

●ロープウェーから望む身延の門前町:晴れていれば富士山や駿河湾、反対側には南アルプスの山並みも望めます(撮影協力/身延登山鉄道株式会社)


●身延山中興の祖と言われる日朝上人が開いた覚林房。宿坊として参拝や観光に来た人を受け入れています

●銘菓「みのぶまんぢゅう」。門前町で製造販売を行う甘養亭は、創業1626年の老舗和菓子店。代々身延山の御用達を務め、現当主の池上宗久さんで16代目となります。もともと羊羹と落雁の店だったが、14代当主が当時の法主から「参拝客の土産になるものを作ってほしい」と依頼され、これを機に「まんぢゅう」がラインアップに加わりました。一子相伝の技で炊く自家製こし餡を、かすかにしょうゆの味わいを残す皮で包んだ蒸し饅頭は、万人に好まれるやさしい味。製造工程のほとんどが機械化されましたが、「みのぶ」の焼き印だけは昔と変わらず一つひとつ手で押されています



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