世界を席巻した日本磁器のふるさと - 有田

 

日本の磁器発祥の地

JR佐世保線の有田駅~上有田駅間の狭い谷間の川沿いには約4kmにわたって旧市街地が帯状に伸びています。窯元であることを示すレンガ造りの煙突が所々に突き出す景色を目にすると、ここが日本有数の焼き物の里だと実感します。白しっくいの町家としゃれた洋風建築が混在する、かつての中心地は内山と呼ばれ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。普段はゆっくりとした時間が流れる静かな目抜き通りも、ゴールデンウィーク中に開催される有田陶器市の間だけはあふれんばかりに焼き物が並び、それを求めて全国から訪れる観光客でにぎわいます。人口2万1500人の小さな町が、期間中には延べ100万人に膨れ上がるというから、そのにぎわいや推して知るべし、です。

有田で焼かれているのは主に磁器。陶石(または磁石)と呼ばれる石を砕いて粘土にし、高温で焼き上げたものです。白く、硬く、そして艶やかなこの焼き物は中国で生まれ、その技術が朝鮮半島を経て日本に伝わりました。日本と磁器の接点は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の時代にさかのぼります。秀吉の急死で、朝鮮半島に渡っていた諸大名はそれぞれの国へ引き上げましたが、この時、佐賀鍋島藩は道案内役だった朝鮮人陶工の李参平を連れ帰っています。李参平は現在の多久市に窯を開き作陶に精を出しますが、どうしても思うような焼き物が焼けません。原料は土しかなく、朝鮮で使っていた時のような陶石が手に入らなかったのです。陶石を求めて領内を回った参平は、1616年に現在の有田町に入り、ついに良質の陶石を発見しました。この場所こそが、日本の磁器発祥の地にして、その後の有田の磁器産業を支えることとなる泉山陶石場です。一つの山だった所を約400年間、採掘し続けた結果、荒々しい岩肌に囲まれた東西450m、南北250mにも及ぶ広大な空間が生まれました。山がそっくり磁器に変わってしまったのです。

明治以降は歩留まりの良い天草陶石(熊本)が主流となったため、今では泉山での採掘はほとんど行われていませんが、地下には十分なほどの陶石が埋蔵されているといいます。いずれ天草陶石が枯渇しても、この泉山の陶石を生かせるように、現在、資源の活用が再び検討され­­­ています。

泉山陶石場


伊万里焼として海外へ

有田焼発祥の地を訪れた後は、県立九州陶磁文化館で有田焼について体系的に学ぶのがいいでしょう。陶石の発見後、すぐに磁器の制作が始まりましたが、初期のものは線描きが太く、塗りにもムラが見えます。白地も全体的に青みがかっていますが、時代が進み、精製技術が高くなると白さが増し、線描きもより繊細になっていきます。詳細は省きますが、有田で作られていたにもかかわらず、積み出しが伊万里港だったため「伊万里焼」とも呼ばれていたこと。作陶は朝鮮の影響を受けましたが、絵付けに関しては中国(明)の影響を受けていること。「柿右衛門様式」「古伊万里様式」「鍋島様式」が有田を代表する三大様式であることなど、同館で焼き物の基本知識を身に付けながら展示を追えば、時代の変遷と共に有田焼がその様相を大きく変えていったことがよく理解出来ます。

陶山神社


1650年代には、有田の磁器は既に輸出が出来るほどのクオリティーになっていました。もともと中国の明の磁器がヨーロッパ市場に入り込んでいましたが、明が清に替わり、1655年の海禁令で海外貿易が禁止されると、有田磁器のニーズは一気に高まります。以後ほぼ100年の間、有田の磁器は伊万里焼として海外へ大量に出回ることとなり、うち少なくとも50年間はヨーロッパ市場を席巻していました。ただ残念なことに、幕末に再度有田焼のブームが訪れるまで、かの地ではメードイン・チャイナとジャパンの差はほとんど意識されていなかったようです。

有田焼五膳

有田の新しい魅力、発見

焼き物のイメージの強い有田町ですが、2006年に西有田町と合併したことで新しい魅力も加わりました。

周囲を山に囲まれた西有田地区には、山の斜面に美しい曲線美を描く「岳の棚田」が広がっています。点在する集落と一体となった農村の風景は、日本棚田百選にも選ばれています。ここで取れた棚田米は、生活排水の混じらない国見山系の天然水で栽培されるため味が良いと評判です。また、一帯は九州でも有数の畜産地で、ここで育つ「はがくれ牛」も肉質が良いことで知られます。

2011年には、有田の新ご当地グルメとして「有田焼五膳」がデビューしました。有田の特産品である鶏肉が、焼き物・酢の物・煮物・蒸し物・揚げ物に調理され、この料理のために特別に開発された有田焼のオリジナル器に、それぞれ盛り付けられます。現在、六つの店舗で提供されており、価格は1200円と統一されていますが、調理方法さえ合っていればOKなので、料理内容は各店の個性が現れます。有田焼の器と盛り付けを楽しみながら味わうプレミアムな料理としてファンを獲得しつつあります。

2013年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

▼佐賀県 有田町

佐賀県西部に位置し、北は伊万里市、東は武雄市、南西部から南部にかけては長崎県との県境に接する内陸の町。南北を貫く有田川は伊万里湾に注ぎ、その東西には標高700mを超える国見連山と黒髪連山が連なります。

写真説明

●泉山陶石場:17世紀初めに、朝鮮人陶工の李参平によって発見されました。現在、採掘はほとんど行われておらず、白磁ケ丘公園として整備されています
●陶山神社:名工らが技を競って奉納した磁器製の大鳥居が目を引きます
●有田焼五膳:2011年に有田の新ご当地グルメとしてデビューしました。有田焼の器が有田産鶏肉を使った料理を彩ります(亀井鮨 TEL.0955-43-2951)
 


●鍋島様式:佐賀鍋島藩の御用窯で焼かれた精緻で格調高い磁器。幕府や諸大名、朝廷への献上品として作られました(撮影協力:今右衛門窯)



●古伊万里様式:濃い染付(白地に青一色の絵付け)に赤や金の絵の具をぜいたくに重ねたもの。輸出品として大量に作られ、余白がないほど文様が描 きこまれた絢爛豪華な作風が代表的ですが、「柿右衛門様式」「鍋島様式」に属さない幕末以前の有田焼は全て古伊万里に含まれます(撮影協力:源右衛門窯)
 


●柿右衛門様式:乳白色の濁手(にごしで)釉と赤絵の美しく華麗な作風。輸出初期の花形として海外で高く評価されました。アシンメトリーの構図で余白をしっかり残す絵柄が特徴(撮影協力:柿右衛門窯)



●国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている有田内山の町並み。約700mにわたって、しっくい塀や明治期の洋風建築が軒を重ね合っています



●特別な許可をもらって坑道の内部を見せてもらいました。天井や壁面には当時の手掘りの跡が残っていました



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