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甘い薫りに誘われて、国産ワインのふるさとを行く - 甲州

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  「笹子下ろし」に育まれて 東京から中央自動車道を甲府方面へ向かう途中、5km近く続く長い長い笹子トンネルがあります。数分間の暗がりを抜け、目の前に飛び込んできたのは、陽光きらめく一面のブドウ畑でした。 山梨県甲州市勝沼。日本有数のブドウ産地であり、日本で初めてワインが作られた場所です。現在、町内には32の醸造所(ワイナリー)があり、それぞれ自慢のワインで勝沼ブランドの名を高めています。9月下旬頃からワイン用のブドウの収穫が始まり、市内にあるワイナリーは次第に慌ただしくなってきます。 「今年の出来は例年並み。ただ、最近はなるべく農薬を使わないで育てるため、病気にかかるブドウが目立ちます。そうなると糖度が上がらないのです」 と、山梨ワイン代表の野沢貞彦さん。ワインがおいしいかどうかの決め手は、糖度の高さにあります。いわばワインの命です。 ブドウの糖分は発酵によって炭酸ガスとアルコールに変わります。ずっと発酵させ続けると糖分はどんどんアルコールに分解されて辛口に、発酵を途中で止めるとブドウの糖分が残るため甘口になります。つまり発酵をどこで止めるかによって、甘辛の違いが出ます。だから糖度が高ければ高いほど、アルコール度数の高い、おいしいワインが出来るのです。 糖度の天敵は雨。地面が湿ると、水分がブドウの中に戻り、その分糖度が下がります。反対に雨が降らないと、ブドウは小粒になりますが、果汁は凝縮されて糖度が高まります。生食用はいかに奇麗な房を作るかが求められますが、ワイン用は徹底して糖度の高さが肝になります。 十分な糖度を得るにはしっかりと陽の光を浴びるだけではなく、昼夜の温度差が激しい環境で育つことが求められます。冒頭に出てきた笹子トンネルの真上には、かつて甲州街道の最大の難所と言われた笹子峠が横たわっていて、この峠から「笹子下ろし」と呼ばれる冷たい風が勝沼の街を吹き抜けます。中でも、風の通り道であるため、最も冷え込みの激しい峡東地区に、ワイナリー所有のブドウ畑が集中しています。自然の理と人智の交わりによって、ワイン作りが行われていることが分かります。 世界へ羽ばたく甲州ワイン 数年前、ヨーロッパでもアジア食がブームになりました。当然、我が日本料理もますます注目されているようになりましたが、取材をした2008年の初めにそれを裏付けるかのようなニュースがありました。 「山

心穏やかな時間を過ごす宿坊体験と身延参り - 身延

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宿坊は旅館と何が違うのか 江戸時代、庶民の間で善光寺参りや大山参りといった寺社参詣が大流行しました。稲の刈り取りも終わった農閑期、大切に積み立ててきたお金を手にしてお参りに出かけた人々の多くは、ひと月もふた月も旅先に滞在しました。そんな彼らが宿として利用したのが宿坊です。 「旅の目的地であった寺院には通常、幾つもの末寺が存在します。身延山にも多い時で百近くの末寺があり、本寺である久遠寺を支えていました。こうした末寺が、遠くから来た信者の宿代わりに使われたことから宿坊の歴史は始まります。身延にも宿坊を足掛かりに、何日にもわたって久遠寺をお参りする方が今も大勢いらっしゃいます」 日蓮宗の総本山、身延山久遠寺の末寺の一つである行学院覚林房の樋口是亮住職は、宿坊の成り立ちについてこのように説明します。本来は修行中の僧侶が宿泊する施設でしたが、時代が下るにつれ一般の参詣者や観光客も利用出来るようになりました。現在、身延には32軒の宿坊があり、そのうちの16軒が参拝客や観光客を受け入れています。最近では部屋やトイレ、空調などが快適に整備され、サービス内容が旅館然としている宿坊が多く、反対にゆば料理や精進料理が自慢の町の旅館もあるなど、宿坊と旅館の違いはほとんど見当たりません。 しかし、昭和の初め頃までの身延はお寺自体がご飯を食べられるか食べられないかという貧しい懐事情でした。だから泊まる方も2合の米を奉納して泊めてもらっていました。 「ここ10年で身延の宿坊はゆばを使った料理を打ち出していますが、以前はどこの宿坊の料理も一汁一菜に近いものでした。町の旅館はこれにせいぜいお刺身が一品加わる程度の質素なものだったと聞いています」(樋口住職) 今は快適なこともあって物見遊山でやって来る人がほとんどで、昔のようにストイックに信仰心から訪れる人はごくわずかです。ただ、瞑想や写経に興味を持つ外国人の来訪は増えており、ホームページに英語版を用意している宿坊もあります。また宗派もこだわりなく、観光で訪れて、住職との何気ない会話をきっかけに悩み事を打ち明け始める宿泊者もいます。本人は幸せそうに見えてもお子さんが引きこもりやいじめで困っているなど、人は何かしら悩みを抱えているもの。宿泊先で自然に悩みを打ち明けられるのも、宿坊ならではの体験と言えるかもしれません。 ロープウェーから望む身延の門前町

富士山の湧き水がもたらす恵み。伝統野菜と川魚、そしてわさび - 都留

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冬場に都留市の十日市場・夏狩地区で盛んに栽培される水掛菜 富士山の湧き水で育つ伝統野菜・水掛菜 都留市は富士山の北東にあります。が、すぐ近くに日本一の山がありながら、普段はなかなかその威容を拝むことが出来ません。山に囲まれているため、富士山と距離が近い分、それらの山々が富士山を隠しているのです。 その代わり、都留市は富士山から、豊富な湧き水という恩恵を受けています。富士山の降水量は平均すると、1日約600万トンと推計され、そのうち25%が蒸発し、残り450万トンはほとんど、地下へしみ込むと言われています。しみ込んだ水は溶岩層に覆われた砂礫層や、溶岩層と溶岩層の間を満たし、伏流水となり、15年から20年の歳月を経て、溶岩層の末端から湧き出ると考えられています。 都留市内には、上水道に使用しているだけで、富士山の伏流水が日に約8000トンも湧き出ています。特に、環境省によって「平成の名水百選」に選定された十日市場・夏狩湧水群には、湧水地が10カ所以上あります。水温は年間を通して12、13度に保たれ、水量も豊富なことから、伝統野菜である水掛菜の栽培や、養魚場、わさび田などで利用されています。 水掛菜は、都留市や隣の富士吉田市、また静岡県御殿場市、富士宮市など富士山周辺で、水田の裏作として作られています。富士山の湧き水をかけ流しながら育てることから、その名が付いたと言われます。 明治の中頃、都留市の農家が、富士山の湧き水が冬も凍らないことに目を付け、水をかけ流して菜っ葉を栽培することを思いつきました。今では流通が良くなり、冬でも野菜が手に入りますが、昔は冬場の青物野菜は貴重でした。寒さの厳しい地域ではなおさらです。そのため、この方法はすぐに普及。多くの農家が、収穫の終わった田んぼに畝を作って種をまき、そこに湧き水をかけ流しで引き込み、水掛菜を栽培するようになりました。富士吉田に青果地方卸売市場が設立された昭和35年からは出荷も始まり、生産が本格化。昭和60年頃までは市内各地で盛んに栽培されていました。 長慶寺境内の湧き水に自生するバイカモ。水温が高いせいか冬でも花を咲かせる その後、宅地化が進んだ上に農家の高齢化もあり、栽培面積、生産者共に減少。現在は十日市場・夏狩地区で約20軒が栽培するのみとなって