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最高級の代名詞「気仙沼産」は、残さずすべて使い尽くす - 気仙沼

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サメのメッカに「サメ漁」はない 暖流の黒潮と寒流の親潮が交差する世界三大漁場の一つ三陸漁場を抱える気仙沼港。年に12万トン前後の水揚げがある全国有数のこの漁港では、メバチやビンナガといったマグロ類からメカやマカのカジキ類、カツオにサンマといった大衆魚まで、実にさまざまな種類の魚を見ることが出来ます。特に生のカツオは12年連続で全国一の水揚げを記録しており、9月から12月初旬に揚がる脂の乗ったものは「気仙沼の戻りカツオ」として、多くの引き合いがあります。サンマの水揚げも全国上位クラスです。その昔、サンマを山積みにしたトラックがカーブを曲がる時、荷台からバラバラとサンマが落ちたものですが、野良猫ですら見向きもしなかった……それほどサンマがたくさん穫れたという、この手の話を町で何度か耳にしました。 しかし、気仙沼と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、何と言ってもフカヒレの原料となるサメでしょう。それもそのはず、国内の7割を占める1万8000トンのサメが、この漁港に水揚げされます。圧倒的に多いのはヨシキリザメで、全体の約80%。次いでモウカザメが約15%で続きます。この2種がほとんどを占め、ヒレというヒレがフカヒレに加工されます。 ご存じの通りフカヒレは中華料理の高級食材。中国では魚翅と呼ばれ、古来、干しアワビ、ツバメの巣と共に中国三大高級珍食材に数えられます。庶民の口には滅多に入ることのない高級品ですが、本場中国にも最高級品「気仙沼産フカヒレ」として輸出されています。 サメの入札が朝7時から始まるというので、気仙沼漁港へ向かいました。サメは年中穫れる魚で、この日もヨシキリザメ12トンと、モウカザメ300本(モウカザメはこう数える)が揚がっていました。多い時で1日に80~100トンというから、この日は控えめな方でした。 目の前のサメの山を眺めながら、意外な話を聞きました。「これだけのサメが並んでいますが、サメ漁というものはありません」。 声の主は気仙沼漁協の伊藤幸さん。どういうことかというと、気仙沼では近海マグロの延縄漁業が盛んで、そのマグロを追って来るサメが混獲されます。つまり、サメはマグロ狙いの外道なのです。ところが気仙沼は、フカヒレを始めサメを原料とする水産加工業が盛ん。混獲されたサメの受け皿港として他の市場より良い値が付くので、この港にサメが集まってくるのです。 入札が終

震災を乗り越え、明日へ踏み出す人々 - 塩竈

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御釜神社に安置される4口の神竈 陸奥国一宮・鹽竈神社 鹽竈神社を表参道から参拝すると、松尾芭蕉が「石の階九仞に重り(石段は極めて高く重なり)」と表現した、202段の石段が迎えてくれます。ふうふう言いながら石積みの急坂を昇り、随身門、唐門と二つの門をくぐると、正面に左右宮拝殿があります。 左宮には武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮には経津主神(ふつぬしのかみ)が祭られています。左右宮拝殿の右手には、別宮拝殿があり、こちらには鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)が祭られています。別宮と言うと、一般には本宮に付属する社のことを指しますが、鹽竈神社の場合、実はこちらが主祭神となります。 「しおつち」は「潮つ路」のことで、鹽土老翁神は航海の神とされます。そのため別宮は、松島湾を一望に見下ろす一森山の上に、海を背にして建てられました。別宮の「別」はいわば別格、特別の「別」ということになるでしょう。 鹽土老翁神はまた、塩の神としても信仰されています。鹽竈神社の社伝によると、武甕槌神(茨城県鹿島神宮主祭神)と経津主神(千葉県香取神宮主祭神)は、鹽土老翁神の先導で諸国を平定。役目を果たした二人は、元の宮へ戻りましたが、鹽土老翁神はこの地に残り、人々に製塩法を教えたとされます。 もともとこの辺りは、陸奥国府・多賀城の港として国府津と呼ばれていました。が、鹽竈神社が、陸奥国の総鎮守として建てられ信仰を集めるようになり、国府津に代わって鹽竈の名が地名として定着したと言われます。 そんな鹽竈神社の場外末社の一つに、御釜神社があります。鹽竈神社別宮と同じ鹽土老翁神を祭り、鹽竈神社の神器とされる4口の「神竈」が安置されています。この竈は、鹽土老翁神が、海水を煮て製塩する方法を教えた時のものであるとされています。 鹽竈神社の別宮拝殿(右)と左右宮拝殿 毎年7月10日の鹽竈神社例祭の際には、3神に供える神饌を調進するため、7月4~6日の3日間にわたって御釜神社で藻塩焼神事が行われます。神事では海藻から濃度の高い塩水(鹹水)を作り、これを煮詰めて塩にする一連の工程が儀礼として再現され、古代の製塩に関する行事を現代に伝えるものとして、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。 顔晴れ塩竈 藻