安芸の国、酒と歴史に醸されたまち - 東広島

 

米蒸す香りに包まれて

広島県のほぼ中央、東広島市の西条は灘(兵庫県)、伏見(京都府)と並ぶ三大銘醸地の一つとして知られます。9銘柄ある西条酒のうち八つの醸造所が、JR西条駅周辺の酒蔵地区に集まっています。蔵元の銘を背負い、高さを競うようにいくつも突き出ている赤レンガの煙突は酒蔵地区のシンボル。今も現役で使われているものは1本だけになってしまいましたが、煙突の下にはそれぞれ赤い石州瓦の大屋根を頂いた豪壮な蔵が構えられ、仕込みの時期ともなると、仕込み蔵から酒米を蒸す甘い香りが放たれます。

近代化のあおりを受け、日本各地で伝統的な酒蔵が姿を消していく中、白壁になまこ壁の大きな酒蔵が、旧山陽道を挟んで軒を寄せ合い建ち並ぶ町並みは文化遺産としても貴重な風景で、「酒都」西条の魅力にもなっています。

気温、水、米、そして技

酒造りで大切なのは気温、水、米、そして技術。ここ西条には美酒を育むために必要な全ての条件がそろっています。海抜200mの賀茂台地は、周囲を山々に囲まれた高原の盆地です。広島県は瀬戸内海の影響を受ける温暖な気候という印象がありましたが、内陸の西条は昔から雪が多い場所。東北の仙台とよく似た気候だといいます。酒を仕込む冬の平均気温は4~5度。極端に寒すぎず、しかも昼夜の気温差が大きく酒造りには最適の気候です。

町の背後にそびえる龍王山に降った雨は地下の砂礫層をくぐって伏流水となって湧き出ます。西条の地下水は「水の郷百選」にも選ばれる質の良さで、「爽やかで甘い」と感じる中硬水。酒蔵地区のほとんどの酒蔵では水汲み場が開放されており、持参の容器に名水を汲み入れる町の人たちの姿をよく見かけます。有機物が少なくカルシウムやマグネシウムの含有が低いこの中硬水が出るのは、蔵が密集する酒蔵地区だけ。不思議なことに、少し離れた場所では酒造りには不向きな鉄分を含む水が出ます。西条駅の北側には今も天平年間創建の安芸国分寺が堂を構えますが、古代山陽道は酒蔵地区のある駅の南側ではなく、安芸国分寺のある北側を通っていました。後に南側に井戸が出来ると町の中心地も南に移り、それに伴い山陽道も移動。ある限られた範囲にだけ酒造りに適した水が出ることが分かり、そこに酒蔵が密集しました。現在の西条の町並みは「水」の存在を抜きに語ることは出来ません。

JR西条駅周辺


江戸時代には西条四日市として、四のつく日に市が立ちました。70軒の旅籠の他、本陣も置かれ、山陽道随一のにぎわいを見せましたが、1675年から造られ始めた西条酒の評判は近在に限られていました。西条酒が世に知られるようになるには、一人の杜氏の登場を待たなければなりませんでした。広島杜氏のふるさと安芸津の杜氏三浦仙三郎。今日の西条酒の醸造法確立に貢献した人物です。

一般開放されている仕込み水
広島の地を潤す伏流水の多くは軟水や中硬水で、灘の宮水などの硬水に較べ発酵が遅く、酒造りには不適とされていました。ところが明治中頃に三浦が編み出した技術革新によって、軟水や中硬水を低温で長期間発酵させることが可能になったのです。こうして醸造した西条酒を明治末頃に開催された全国区の品評会に出品すると、他を寄せ付けずに圧勝し、一躍名声を得ました。

芳醇な味を醸す酒米は、古くから栽培されてきた八反や雄町。近年では、大吟醸酒の酒米として全国的に知られる兵庫の山田錦を、広島県の気候風土に適するように改良した千本錦といった新品種も登場しています。

まろやかなうまみのある西条酒は、硬水で造る灘の「男酒」に対して「おんな酒」と呼ばれる滑らかで優しい酒です。

名物、酒まつりと美酒鍋

仕込みが始まるのは11月。最初は慣らしがてら、純米酒や普通酒を造り始めます。今年の米の状態を確認してから本格的に吟醸酒に取りかかり、1月に入ると大吟醸の仕込みに入ります。取材に訪れたのが、ちょうど大吟醸の仕込みが始まった時期。どの蔵でも杜氏以下蔵人たちが、ピリピリと張り詰めた空気の中、精を出していました。

「12月は新しい酵母を試すなど、比較的チャレンジが出来る時期。たとえ同じ米、麹、酵母を使っても昨年の同時期に仕込んだものとは違う味になることも珍しくありません。この違いを確かめるのが酒飲みの楽しみ方の一つでしたが、今ではこの感覚が分からない人が多い。先輩から、日本酒の飲み方を教えてもらえなかった人が増えちゃったからね」
と、西条酒造協会の前垣壽男理事長は嘆きます。最近は日本酒どころか、アルコールを全く口にしない若者が増えているといいますが、10月第2土曜日に酒蔵地区など西条の中心地で開催される「酒まつり」の人出を見ると、昨今の酒離れ現象は嘘のようです。2012年は2日間で24万人が訪れ、酒蔵を始め全国から集められた約900銘柄の地酒に舌鼓を打ちました。

美酒鍋


全国からのリピーターが多いこのイベントで、彼らが目当てにしているものの一つが「美酒鍋」です。もともとは蔵の賄い料理で、豊富にある日本酒を水代わりに使った料理。読み方は「びしゅ」ではなく「びしょ」。大量に汗をかきびしょびしょになって働く蔵人たちに少しでも元気をつけてもらいたいと願う杜氏が考案した料理だと言われています。鍋には豚肉と鶏肉、そして精の出る砂ズリに、キャベツなど各種野菜が入ります。味付けは塩こしょうとニンニク。肉を炒めて、酒を注ぎ野菜を煮るという実にシンプルな調理法です。アルコールは飛んでしまうので、酒が苦手な人や子どもでもおいしく食べることが出来ます。味見をしてみましたが、とろみのない八宝菜のような味で、飽きがこないため、つい箸が進みます。酒まつり時以外でも、市内数店舗で食べることが出来るので問い合わせて出掛けてみたいものです。

2013年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

▼広島県東広島市

2005年2月に、1市5町が合併し、広島県の約7.5%を占める広いエリアを有する県中央地域の中核都市として新たに歩み始めました。

写真説明

●JR西条駅周辺には赤レンガの煙突を掲げた八つの醸造所が建ち並びます。ほとんどの醸造所で試飲が出来るようになっており、酒好きにはたまらない観光地となっています
●酒まつりの人気料理「美酒鍋」(撮影協力:もつ鍋酒場 Kazu Maru TEL.082-423-0014)
 


●旧山陽道に沿って続く酒蔵群は、白壁となまこ壁に赤レンガの煙突が美しく調和しています

●酒蔵通りでしばしば見かけるマンホールの蓋。町のシンボルであるレンガの煙突が描かれています

●西条盆地のほぼ中央にある、県内最大の前方後円墳「三ツ城(みつじょう)古墳」。5世紀頃と推定される築造当初の姿に復元され、公園として整備されています

●東広島を訪れたら、もう一カ所訪れておきたいのが白市の町。戦国時代に白山城の城下町として誕生した後、江戸時代に交通の要所であったために人やモノが行き交う市場町として栄えました。江戸~明治・大正期の町屋や寺社など往事をしのばせる建物が現存し、風情のある町並みを形成しています

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