月待ちがにと、彫刻に彩られた街 - 宇部
月待ちがに |
満月の度に育つカニ
宇部沖で漁獲されるワタリガニを、宇部市では「月待ちがに」と呼んでいます。満月の度に脱皮して大きくなることから、1997年に宇部観光コンベンション協会が命名して以来、知る人ぞ知る宇部名物となっています。波が静かで比較的水温が高い場所を好むワタリガニにとって、瀬戸内海はどこもが棲みよい環境。そんな中でも、宇部近海は特に漁が盛んです。漁業者が多いこともありますが、1年を通してワタリガニの水揚げがあります。
最も多く捕れるのが春先。卵を産むために沿岸部に寄ってきたのをカニカゴで捕獲します。時期によっては刺し網漁も行われますが、寒くなってくるとカゴにも網にも入らなくなります。ワタリガニは秋から冬に入ると海底の砂の中に潜ってしまい、動きがにぶくなる習性があります。だから冬期はマンガン漁と呼ばれる桁網漁が主流となります。クワのような漁具で底の砂ごと掘り起こして、クワの後ろに付いている網で獲物を捕獲する底引き漁の一種です。他地域ではあまり見掛けることのない宇部独特のワタリガニ漁です。
浅瀬は禁漁区となっているため、主な漁場は港から1時間近く沖に出た海域。漁が出来るのが7時から17時と決まっているので、多くの船が早めに漁場に着いて待機します。時間になると、例のクワを海底に下ろして船を40分ほど移動させ、網を揚げること8~9回。ヒトデや貝に混じって月待ちがにが姿を現します。
マンガン漁が行われる冬、ワタリガニはちょうど旬を迎え、1年の中で最もおいしく頂くことが出来ます。身の甘さと味の濃さもさることながら、甲羅の裏には鮮やかなオレンジ色の内子と濃厚なカニみそがびっしり詰まっているため、この時期を心待ちにしている地元ファンも多くいます。水揚げされたワタリガニは、一部が宇部で消費される他は他県へ流通します。事前に予約をすれば市内の料理店でも「月待ちがに」にありつくことが出来るので、機会があれば、ぜひとも味わってもらいたいものです。
ツアーで体感する宇部
瀬戸内工業地帯の一角をなす宇部市の今日の発展は、1897年に海底炭田が開鉱されたことに始まります。海底を掘り進んで石炭を採取した後、掘り上げた土で臨海部を埋め立てて用地を造成し、現在の工業地帯が築かれました。その中心的な役割を果たしたのが、今も本社機能の一部と主力生産拠点を市内に置く宇部興産です。炭鉱会社やセメント会社など4社が合併して出来た同社は、隣接する美祢市伊佐地区の石灰石の採掘場と、宇部市沿岸部にある拠点工場を結ぶ専用道路を建設しました。1967年着工、82年に全通した通称「宇部興産道路」は、全長34kmにおよぶ日本一長い私道です。私道扱いであるため道路交通法が適用されません。そのため国内では規格外の80トン積みダブルストレーラーがひっきりなしに往来し、石灰石の大量輸送を可能にしています。
経済的に考えて、石灰石を運ぶためだけならベルトコンベヤーで十分です。しかし、100年先を考えた時、道路を建設した方が地域振興に役立ち、汎用性があるとの英断が下されました。社内や株主からは反対意見もありましたが、緊急時に救急車や警察車両がこの道路を利用することが何度もあり、先見性が裏付けられました。
ダブルストレーラーが行き交う宇部興産道路や石灰石が採掘される現場は、本来は関係者以外の立ち入りが禁じられていますが、一般客でも見学出来る方法が一つあります。2007年から宇部市と隣接する美祢市、山陽小野田市が共同で実施している産業観光バスツアーへの参加です。石灰石からセメントが作られる過程を体感出来る「セメントの道」コースや、宇部の炭鉱史を追うものなど、全18コースのツアーが用意されています。 産業観光以外にも、伝統工芸の現場へ赴くコースがあり、ふたに手の込んだ模様が彫られた赤間硯や、和琴の製作現場など、普段なかなか触れることのない体験が出来るとあって好評を博しています。
宇部は中心街だけでも60体以上が点在する彫刻の街でもあります。作品はいずれも市の主催で2年ごとに開催される野外彫刻の公募展「UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)」の歴代上位入賞作品。ときわ公園の彫刻野外展示場に展示される他、市街地や公園などに設置され、町はさながら野外彫刻館の様相を呈しています。なぜ宇部は彫刻の町となったのでしょうか。
第2次大戦で市街地のほとんどを空襲で消失。宇部は灰色の町となりましたが、再建にかける市民の熱意と戦後の好景気に支えられ見事復興しました。しかし一方で、工場からの煤煙による公害も深刻になっていました。市は、市民や企業と協力し煤煙対策に取り組むと共に、街に1万本の木を植樹、更に企業に寄付を募って花を植え、人通りの多い駅前に18世紀の彫刻家ファルコネの作品のレプリカを設置しました。すると予想外のことでしたが、乗降客が彫刻の前で足を止め、写真や絵に収め始めました。これがきっかけで、子どもたちに本物の彫刻を見せようという話に発展。市民の熱意は日本を代表する美術関係者らも動かし、1961年、日本初となる大規模な野外彫刻展が宇部で開催され、現在に至っています。以来半世紀、灰色の町の彫刻展は、国内外の新人彫刻家の登竜門として定着。近年では彫刻家と市民との身近な触れ合いの場も増え、市民の彫刻に対する理解や愛着心は年々深くなっています。
2014年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)
▼山口県 宇部市
山口県西部の周防灘(瀬戸内海)に面した都市。山口県西部の拠点都市の一つであり、県内では下関市、山口市に次ぐ人口を擁します。明治期以降の石炭産業の振興で街は大きく発展。その後、近代的な工業都市へと変ぼうを遂げ、現在も瀬戸内有数の臨海工業地帯を形成しています。
写真説明
●臨海工業地帯:市内沿岸部は瀬戸内有数の工業地帯。石灰石運搬用の専用道路を連接型のダブルストレーラーがひっきりなしに行き交いましす(撮影協力:宇部興産㈱)
●ときわ公園にある彫刻:宇部市民なら誰もが知っているという宇部を象徴する彫刻。材料が手に入りにくかった1962年に、廃材をつなぎ合わせて作った高さ6mの大作です。当時日本最大の抽象野外彫刻でした(撮影協力:ときわミュージアム 彫刻野外展示場)
●10月から3月にかけてメスは鮮やかなオレンジ色の内子を抱えます。内子のとろけるような食感と濃厚なうまみを味わうには、茹でるか蒸すかのシンプルな調理法が一番
●赤間関(現在の下関市)で作られ始めたことからその名が付いたと言われる「赤間硯」。現在では市内岩滝地区に残る4軒だけが、昔と変わらない製法で硯を作り続けています。ふたに彫刻が施されているのが特徴で、実用はもとより贈答品などに利用されています(撮影協力:玉峯堂)
●見渡す限り360度が茶畑。山口茶・小野茶のブランド名で知られる市内小野地区は、1カ所にまとまった茶畑の規模としては西日本最大の規模を誇ります
●市内の船木地区は山陽道の宿場町で、往時には花街としてもにぎわいをみせていました。この地で約50年前から琴の製造を行っているのが琴司(ことし)の玉重彰彦さん。良い音色を奏でそうな桐材を見極め、美しい曲面を持った琴に仕上げていきます(撮影協力:㈲たましげ)
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