海運と漁業で名を馳せた日本のベニス - 射水
細工蒲鉾 |
干潟に築かれた港
水深の深さで知られる富山湾。3000m級の峰が連なる立山連峰から、最も深いところで水深1000mもある富山湾まで4000mの高低差があります。しかもその高低差は直線距離で50km。平均勾配8%という急勾配の地形だから、湾にかつて潟が広がっていたとはにわかに信じがたい話です。
富山湾に面する富山新港(射水市)がある辺りはその昔、放生津潟と呼ばれる汽水潟湖でした。奈良時代に越中国司として赴任して来た大伴家持の和歌には「奈呉の江」として登場。その風景に深く感銘したといいます。中世から近世にかけて潟周辺の干拓などによる新田開発が進み、農村集落が出現すると米穀などの物資が潟の排水河川である「内川」に集積されました。藩政時代には北前船が寄港し、海運の町として大きく発展しました。昭和20年頃には、潟の沿岸でシジミが豊富に採れたそうです。近くに住んでいた方が、子どもの頃によくシジミ取りのアルバイトをしたという思い出話を聞かせてくれました。
ところが、この放生津潟を掘り込んで富山新港とする計画が持ち上がります。1950年代の朝鮮特需を契機に海運業が活性化。富山県内では富山港(富山市)と伏木港(高岡市)だけでは貨物量をさばききれなくなり、昭和30年代後半に約1.8平方kmの放生津潟を利用した掘込港湾の工事が始まりました。1968年4月の開港以来、富山新港はロシアや韓国、中国、東南アジアへの定期コンテナ航路が就航するなど国際拠点港湾として目覚ましい発展を見せています。
新港内でひときわ目を引くのが、巨大な帆船と斜張橋。前者は商船学校の練習船として1930年に進水して以来、地球約50周分の距離を航海し、1万人以上もの海の若人を育ててきた海王丸。帆を全て広げる総帆展帆の美しさから「海の貴婦人」とも呼ばれる帆船で、94年から富山新港に恒久的に係留、公開されています。
後者の斜張橋は新湊大橋。2012年9月の開通によって、新港の開削工事で分断されたままになっていた市の東西地域が44年ぶりに結ばれました。そんな縁起の良さもあってか、海王丸と富山新港のある海王丸パーク一帯は、恋人の聖地(特定非営利活動法人地域活性化支援センター主催)に選定されています。立山連峰を背景に帆船海王丸と新湊大橋が並び立つ他に類を見ない雄大なロケーションが、プロポーズにふさわしいデートスポットとして高く評価されています。
沿岸から一気に深くなる湾内は、白エビやブリ、ホタルイカなど多種多様な魚が集まる格好の漁場となっています。漁場が漁港に近いことから、新湊漁港では、早朝と午後1時の2回セリが行われます。後者は「七時のセリ」と呼ばれ、今しがた漁獲したばかりの魚が次々とセリにかけられます。一般の見学も可能です。
豊富な海の幸を背景に、独特の蒲鉾文化も生まれました。富山県の海沿いでは、婚礼などの祝い事に縁起物をかたどった細工蒲鉾を贈る習慣があります。もともとは生の魚を贈っていましたが、昭和30年頃からタイや鶴、亀をかたどった細工蒲鉾が代わりに使われるようになりました。細工蒲鉾そのものは他県にもありますが、6kg近くある巨大なものが登場するのは富山県だけ。中でも大きなタイの細工蒲鉾は婚礼の定番です。結納の時の手土産に、結婚式場の飾りに、来客への引き出物にも使われます。最近では宅配便で引き出物を送ることが出来ますが、かつては大きくて重い細工蒲鉾を持ち帰ってもらっていました。他にもたくさん荷物がある中、かさばる細工蒲鉾を運ぶのはなかなか大変だったようです。
頂いた細工蒲鉾は、切り分けて周囲の人たちにお裾分けするのが習わし。タイの場合、尻尾の部分は失礼に当たるので主に自家用にします。その他の部分は近所や親戚、職場で結婚の報告と共に配られます。同じ素材で出来ているのに、頭は一番大切な方へお裾分けするというのが面白いところです。核家族が多くなった昨今、もらっても食べきれないということもあり、蒲鉾のサイズは以前に比べ小さくなっています。とはいえ、お祝い返しに使われることはまだ多く、蒲鉾を贈る文化はしっかりと根付いています。
かつての放生津潟から西に伸び、旧市街地を貫くように富山湾に通じていた内川は、古くから舟運や、地域住民の生活に深い関わりを持って親しまれてきました。波の影響を受けない天然の良港でもある内川の両岸には、今も昔も変わらずびっしりと漁船が並びます。東西約2.6kmに及ぶ川沿いには、築70年以上は経っていそうな木造2階建ての家屋が軒を連ね、漁師町を形成しています。
内川を散策したのは夕方に差し掛かった頃で、既に港町は静まりかえっていました。聞くと、朝早い漁に備えて漁師たちは早くも眠りに就いていたようで、「内川を訪れるなら朝がいい」と地元の人は口をそろえます。
明け方、漁に出た船が、にぎやかなエンジン音と共に内川へ戻ってくると、町はにわかに活気づきます。番屋では仕事を終えた漁師らが朝ご飯をかき込みます。時には獲れたばかりの魚をさばいて酒盛りをすることもあるそうです。
とりたてて保存に値するような建物は無くとも、水と人の暮らしが密接に関わる昔ながらの日本の港町の姿がそこにはあります。そんな情景をイタリアの水の都ベニスに例え、遊覧船で内川を巡る観光コースが近年にわかに注目を浴びています。
2014年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)
▼富山県射水市
東に富山市と西に高岡市と隣接。北には富山湾岸、南には射水丘陵を控える富山県のほぼ中央に位置する都市。2005年11月1日に新湊市、小杉町、大門町、大島町、下村の5市町村が合併して、新たな射水市としてスタートしました。
写真説明
●初代海王丸と新湊大橋:気候条件が良ければ、これに加えて見事な立山連峰を臨むことも出来ます
●細工蒲鉾づくり:型枠でタイの形に抜き、絞り袋で目や口、胸ビレを付けた後、ヘラなどの道具を使ってヒレやウロコを表現していきます。この状態で蒸し、食紅で色づけするとタイの細工かまぼこの完成。すり身をそのまま蒸し上げた柔らかさが特徴です
●細工蒲鉾づくり1:型枠でタイの形に抜きます
●細工蒲鉾づくり2:絞り袋で目や口、胸ビレをデコレーション
●漁場が非常に近いため、その日の朝に漁へ出ても昼にはセリ市が可能。取材した日は旬のベニズワイガニが、赤い絨毯のように埋め尽くされていました
●毎年10月1日に開催される放生津八幡宮の例大祭「新湊曳山まつり」では、13本の曳山が内川のある旧市街地を練り廻ります。狭い街角を急曲がりする時の勇壮さが絶好の見どころです。写真は中町の曳山
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