数百年変わらぬ製法で作り継がれてきた一休寺納豆 - 京田辺

一休寺納豆
一休寺納豆

伝統の製法と味を次の世代に

京田辺市の西に位置する甘南備山は古来信仰の対象とされ、平安京を定める際には都の中心軸の南の起点にされたといいます。その麓に通称一休寺と呼ばれる酬恩庵があります。室町時代に一休宗純が再興し、晩年を過ごしました。

1年で最も暑い時季を迎える土用、寺では一休寺納豆の仕込みが行われます。糸引き納豆と違い麹菌で大豆を発酵させる仕込み作業には、暑さと湿度が欠かせません。

一休寺納豆は中国の調味料、豆に近い。日本には奈良時代に伝来しましたが一度は途絶え、鎌倉時代に宋に渡った禅宗の僧が持ち帰り、寺院で生産されるようになります。その伝統を受け継ぐのが、一休寺納豆や京都・大徳寺の大徳寺納豆、静岡県浜松・大福寺の浜納豆で、一休寺では代々の住職が製法を受け継いできました。

仕込みはまず良質の大豆を洗うことから始まります。蒸した大豆にはったい粉と麹菌を混ぜ、江戸時代から使われてきた麹蔵で発酵。発酵を止めた後、塩水に混ぜて木桶に仕込みます。それからは1年間、日中は桶のふたを開けて天日干しし、毎日撹拌します。1年経つと水分は飛んで黒い粒になり、これを更に1年間熟成させて完成となります。大豆を蒸すのにボイラーを使う以外は、昔と変わらぬ手作りです。

一休禅師は寺のある薪の里の人々に、納豆づくりと仕込みに必要なむしろの織り方を教えたと伝えられています。ここには戦前まで納豆を作る風習が残り、昭和30年頃まではむしろづくりが地場産業となっていました。現在ではむしろの作り手がいなくなり、一休寺では古い民家などから譲り受けて何とか確保しています。

一休寺納豆は塩気が強い食べ物です。近年は減塩をうたう食品が多いですが、田邊宗一住職は伝統の製法を変えるつもりはないと話します。

一休寺納豆
一休寺納豆

「今の方の口には塩辛いのかもしれません。しかし時代に合わせるということはしたくない。代々伝えられてきたものを次の代に受け継ぐ過程として、今があると思っています」

その味はただ塩辛いだけでなく、一粒口に入れると、塩味の中にまろやかな酸味が広がります。ごはんの供に、また麻婆豆腐などの調味料として使うのもいいでしょう。伝統のその味を、最近では市内の若手シェフがフレンチのメニューやクッキー、マカロンなどの洋菓子に取り入れて、新たな味わいを生み出しています。

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一休寺の始まりは鎌倉時代、臨済宗の大応国師が創建した妙勝寺で、一休禅師が63歳の時に荒廃していた寺を再興。晩年には応仁の乱を逃れて京都・東山にあった虎丘庵を移して住みまし。一休禅師の元には能楽の金春禅竹や連歌師の柴屋軒宗長ら当時の文化人が集いました。侘び茶の創始者村田珠光もその一人で、虎丘庵の庭は珠光の作と言われます。

方丈庭園
方丈庭園

「ある時、珠光が坐禅中に居眠りをして、一休さんが茶を飲むよう勧めたという話が伝わっています。珠光は禅と茶を結びつけ、それが武野紹鴎、千利休に受け継がれて、茶の湯が出来上がるんです」(田邊住職)

一休禅師木像
一休禅師木像

一休さんと言えばとんち話で親しまれていますが、それは江戸時代に作られた話。実際には破天荒な逸話が多い人です。「応仁の乱で世の中が乱れ、まともなことを言っても通じない時代に一風変わった言動を取ったことが、後世の物語につながったのでしょう」と、田邊住職は話していました。

取材協力/舞妓の茶本舗(TEL:0774-62-0256)

旨みを蓄積させた究極の玉露

京田辺市や宇治市のある山城地域は、800年の歴史を持つ茶の産地。京田辺市では玉露の生産が盛んです。

玉露とは、茶摘み前20日間ほど覆いをかけて栽培した茶葉のこと。日光を制限することで、独特の旨みと甘味を生じさせます。京田辺玉露の場合、その期間は40日と長い。新芽が出るとすぐに覆いをし、徐々に遮光率を上げて最終的には95%まで光を遮ります。また、上質の茶葉の条件としてよく「一芯二葉」と言われますが、京田辺ではしごき摘みという手摘みの技術で「一芯五葉」を摘みます。

昨年、茶のおいしさを競う日本茶アワードでグランプリを受賞した舞妓の茶本舗の田宮正康さんは、この栽培方法により旨みが凝縮されると言います。

「一芯二葉は新鮮な葉ということで、旨みという点ではそれでは足りないのです。覆いの下で40日間ゆっくり育てることで、究極まで旨みを蓄積させることが出来ます。ただしそこまで抑制すると、普通は茶の木がもちません。それに耐えられる木を1年かけて育てるんです。玉露を育てるには自然に逆らうことも必要になる。ですから僕らは、煎茶は自然が作るもの、玉露は人が作るものと言っています」

茶摘みは5月、年に一度だけ行い、夏には木を低く刈り込みます。剪定後に出た芽を翌年春まで手間をかけてじっくりと育て、強い木に仕立てます。そうして育った葉の間から吹いた春の萌芽が、旨み豊かな玉露となります。

玉露は低温の湯でゆっくり時間をかけていれることで旨みが抽出されます。40~50度の人肌の湯で、蒸らし時間は約2分。田宮さんが特製の茶器を使っていれてくれた玉露は、色は薄いのに味は濃厚で、まるでだしのような深い旨みが感じられました。

茶摘みを終えた茶畑

2016年取材(写真/田中勝明 取材/河村智子)

▼京都府京田辺市

1997年4月に綴喜郡田辺町から市政施行。和歌山県田辺市との重複を避けるために市名は一般公募で選考し、京田辺市に決定しました。市の西側は生駒山地から連なる丘陵地帯、東側には木津川に沿う平野が開けています。大阪府及び奈良県との県境に位置し、交通の便に恵まれていることから、京都市、大阪市、奈良市のベッドタウンとして人口増加を続けています。町内には臨済宗の禅僧、一休宗純が再興して晩年を過ごした酬恩庵一休寺や、国宝の十一面観音立像がある観音寺があります。茶の栽培が盛んで、特産品は玉露。
【交通アクセス】
近鉄京都駅から新田辺駅へ急行で約25分。JR大阪駅から京田辺駅へ約50分。
京都市内から阪神高速京都線・第二京阪道  枚方東IC経由で約30km、大阪市内から阪神高速・近畿道・第二京阪道  枚方学研IC経由で約36km。

写真説明

●方丈庭園:庭の向こうに檜皮葺の虎丘庵(右)と御廟所が見えます。一休禅師は後小松天皇の落胤とされ、御廟所は宮内庁の管轄。墓は88歳で亡くなる6年前に自ら建て、虎丘庵の窓から日々眺めていました
●一休禅師木像:方丈の仏間に安置された像は逝去の年に作られたもので、頭髪と髭が植え付けられていました
●取材協力/舞妓の茶本舗(TEL:0774-62-0256)
●茶摘みを終えた茶畑:年に一度の茶摘みを終えて刈り込まれた茶畑。畑全体に覆いをかけるため、棚が設置されています


●はったい粉と麹菌を混ぜた豆は麹蓋に広げ、むしろで覆って発酵させます。発酵して固まった豆をヘラでかき出し、細かくして塩水と混ぜます



●土用の2週間余りで木桶六つ分の仕込みを行います(取材協力/一休寺 Tel.0774-62-0193)

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