さまざまな表情を見せる水都・徳島の魅力 - 徳島
シラスウナギ漁 |
吉野川の冬の風物詩シラスウナギ漁
徳島市には大小138もの川が流れています。その代表格が「坂東太郎」の利根川、「筑紫次郎」の筑後川と並び称される「四国三郎」こと吉野川です。
冬の夜、その吉野川河口で、幻想的な光景が見られます。漆黒の川面に黄色や緑色の光が浮かび上がり、遠目からはまるでホタルが飛び交うように見えます。これはウナギの稚魚、シラスウナギを追う漁師たちの船で、吉野川のシラスウナギ漁は夜間、川面をライトで照らして行われます。
潮に乗って遡上してくるシラスウナギを狙うため、大潮前後の干潮から満潮にかけてが漁には最適。また光を使う漁法のため、大潮でも満月の時は不向き。取材をしたのは2月26日の新月で、深夜1時頃に干潮、朝7時前に満潮の予想でした。吉野川河口にある徳島市第一漁業協同組合の和田純一専務理事に伺ったところ、条件的には未明の2時から5時頃が一番いいだろうとのことで、時間を見計らって吉野川へ向かいました。
和田さんも、以前はシラスウナギ漁に出ていましたが、シラスウナギは風のある日の方が多いそうで、強い風が吹く冬の夜中に水しぶきを浴びながらの漁はきついため、最近はもっぱらマスコミや写真愛好家の対応を引き受けているそうです。
「風が弱い日を狙って年に2、3度、川に出てみることもあるんですが、私が行くと、若い漁師から『今日は和田さんが来てるからだめだ』などと言われ、からかわれます(笑)」
和田さんはそんな話をしながら、漁や船について説明してくれました。
シラスウナギは、体長5cmほどで、細くて半透明。冬から春にかけ、黒潮に乗って東アジア沿岸を回遊し川を上ります。日本では吉野川を始め鹿児島や宮崎、高知、静岡などの川に遡上します。徳島の漁期は12月15日から翌年4月15日まで。国内の漁獲量はピーク時には年間200トンを超えていましたが、近年は大幅に減少、10トンを下回る状態が続いています。
夜間、吉野川の川面をライトで照らして行われるシラスウナギ漁
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以前は直接川に入り、岸部近くで漁をしていましたが、現在は船に発電機を積み、船尾に集魚灯を付けての漁が一般的。吉野川では600Wから1KWのLED電球で川面を照らし、舵を股で挟んで船をバックさせながら、川面に浮かぶシラスウナギを1匹ずつタモ網ですくっていきます。
シラスウナギは「買い子」と呼ばれる仲買人を通して養鰻業者に売られます。12月や1月にとれた稚魚はその年の土用までに成魚に育てられますが、それ以降は来年まで飼育しなくてはいけないため、取引価格が下がるそうです。取材をした時期のシラスウナギは1kg80万円前後が相場と聞きました。もっともシラスウナギ1kgと聞いてもピンときませんが、1kgはどんぶり1杯ほどとのことで、1匹当たり120~130円になるようです。
遊山箱 |
古くから徳島に伝わる独特の文化・遊山箱
徳島には、子どもたちが使う三段重ねの重箱があります。
重箱は「遊山箱」と呼ばれ、そのルーツは江戸時代の水軍基地にあります。徳島藩は、軍船を停泊させる港を安宅と呼び、近くに船大工集団を住まわせていました。大工たちは、船を造った端材で下駄や建具などの日用品も作っていました。遊山箱もその中から生まれたもので、大工が自分の子どものために作った弁当箱が元になっています。
船大工は、廃藩置県で禄を失いますが、その技術を生かし、「安宅物」と言われる日用品やタンス、建具などの製造に転向。やがて「阿波鏡台」や「徳島唐木仏壇」などの地場産業を生み出すことになります。遊山箱も、時代の変遷を経て、船大工が作っていた頃の素朴なものから、木工技術を生かしたものへと変化。近年は、唐木仏壇や鏡台の職人たちも遊山箱に取り組み、工芸的な色合いが深まっています。
年配の人たちは子どもの頃、遊山箱に巻き寿司やういろを入れてもらい、レンゲ畑で遊んだ思い出があるそうです。徳島ではかつて、田植え前のほとんどの田んぼにレンゲが植えられていました。男の子はそこで野球やドッジボールをし、女の子はレンゲで首飾りなどを作っていました。遊山箱の中身がなくなると、子どもたちは菓子を詰めてもらうため家に戻りますが、時には近所の家でごちそうを詰めてくれることもあったといいます。こうした風習は昭和40年頃まで一般的でしたが、やがて遊山の文化は廃れ、遊山箱も普通の弁当箱に取って代わられるようになりました。
が、最近また、遊山箱が注目され始め、その伝統を復活させる動きも広がっています。更に工芸的な美しさも加わったことから、宝石箱や小物入れ、あるいは記念品や引き出物、初節句を迎える孫への贈り物などにも利用されるようになっています。
川沿いに咲く、西日本最大級の産直マルシェ
阿波おどりや遊山箱、花嫁菓子など、伝統的なものが数多く残る徳島ですが、新しい文化も生まれています。その一つ「とくしまマルシェ」は、徳島市中心街の川沿いの遊歩道「しんまちボードウォーク」で毎月最終日曜日に開かれる産直市。
とくしまマルシェ |
「農業ビジネスの活性化」「観光の活性化」「地域の活性化」を目的に、2010年にスタート。街中で新鮮な農作物を手に取り、試食し、出店者との会話も楽しむという、本場フランスの「マルシェ(市場)」さながらの雰囲気で人気を集め、毎回、県内外から平均1万2000人が訪れています。マルシェ効果で、会場周辺の商店も普段の日曜日に比べ客足が2倍ぐらいになり、活気付いています。
人気の秘密は、マルシェ・スタッフが生産者の元に足を運び、こだわり抜いて選んだ自慢の逸品が並んでいること、生産者自らが販売し消費者と直接触れ合っていることにあります。とくしまマルシェ事務局の金森直人代表は、「有機や無農薬、無添加といった農産品や加工品を適正価格で購入頂き、ブランド化を図って満足頂ける徳島産品へと育てていくことが、地域資源を活用したビジネスだと考えています」と話しています。
2017年取材(写真/田中勝明 取材/鈴木秀晃)
▼取材協力クラブ徳島市
徳島市は「四国三郎」と呼ばれる吉野川河口の三角州に発達した都市。江戸時代には徳島藩の城下町として栄えました。藩は吉野川流域の藍生産を奨励、徳島の藍は全国の市場をほぼ独占するまでになり、幕末の人口は国内トップ10に入るほどの隆盛を誇りました。また「阿波和三盆」と呼ばれる砂糖の集積地として早くから大量の砂糖を使うことが出来たため、阿波ういろなどの和菓子が生まれ、今に伝えられています。全国的に知られる阿波おどりも江戸時代の発祥。現在、阿波おどりは毎年8月12~15日に開催されており、期間中は国内外から約130万人の見物客が訪れます。
【交通アクセス】
JR四国の高徳線、牟岐線、徳島線があり、中心駅は徳島駅
主要道は市内を南北に貫く国道11号と55号、東西に貫く192号。徳島自動車道の徳島ICは、中心市街地まで約20㌔、徳島空港まで約15㌔の位置にあります
●徳島市内には、あちこちの川に船溜まりがあります
●岸の近くで直接川に入り、水中に電球を沈めてシラスウナギを待つ人もいます
●仏壇製造の技術を生かした丁寧で妥協のない仕事により、唐木の遊山箱を作る山口友市氏(山口木工)
●とくしまマルシェは、生産者自らが販売し、消費者と直接触れ合うことで、大きな成功を収めました
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