秀吉の紀州攻めから400有余年。よみがえる根来の伝統 - 岩出
400年の時を隔てて並ぶ新旧根来塗 |
使われてこそ生きる根来塗の美しさ
岩出市民俗資料館に古い根来塗の丸盆があります。上塗りの朱漆がすれて、下塗りの黒漆が顔をのぞかせています。それは何かの文様のようにも見え、歳月を経た味わいが感じられます。
根来塗は鎌倉時代から室町時代にかけ、根来寺の僧侶らが、仏具や什器として作っていた漆器です。黒漆で下塗りをし、その上に朱漆を塗ります。使い込むうちに、表面の朱漆が徐々にすり減り、黒漆が自然な模様を表出させます。後の茶人などは朱と黒が織りなす、この意図せぬ文様を「美」と捉え、根来塗を珍重しました。
とはいえ、根来塗は美術品ではなく日用品です。そして、まさに使われることによって、風合いが出てくる器なのです。しかも、長い年月使い続けても、割れたり欠けたりしない堅牢さを持ち、それがまた「用の美」としての根来塗の美しさを作り上げる決め手ともなっています。
が、そんな根来塗も一時廃絶の憂き目に遭っています。1585(天正13)年、根来寺が豊臣秀吉の紀州攻めで灰燼に帰し、根来塗の工人も四散してしまいました。それ以降、途絶えたままになっていた根来塗が復活したのは2000(平成12)年のこと。
再興したのは塗師の池ノ上曙山さん。池ノ上さんは根来塗研究の第一人者・河田貞氏(奈良国立博物館名誉館員)に師事。河田氏との二人三脚で研究を重ね、昔ながらの技法による根来塗の制作に取り組みました。そして正式に根来寺の「許」を得て、400余年ぶりに産地としての「根来寺根来塗」を復活させました。
その池ノ上さんが、「根来塗の命」と呼ぶのが下地の工程です。紙やすりで丁寧に磨いた器に生漆をたっぷりとしみ込ませる「木固め」に始まり、縁を補強するため麻布を巻く「布着せ」、そして木地と布を一体化させる「惣身」など、下地だけで26もの工程があります。
「根来寺根来塗」は和歌山県の伝統的工芸品に指定されています。県の伝産品は「50年以上の継続」という条件があるにもかかわらず、再興からわずか7年という異例の早さで指定を受けました。これも、400年以上前と同じ技法で制作していることが評価されてのものでした。
そして現在、池ノ上さんは根来寺根来塗として確立させた技術の伝承と共に、人材育成にも力を注いでいます。岩出市民俗資料館内に設けられた工房では毎週水曜日と土曜日に根来塗の教室を開講しています。一般の部は3年コースで、塗りに関するさまざまな技法を学びます。更に上を目指したい人は試験を受けた上で上級コースに進むことも出来ます。
現在、70~80人が教室に通っており、そのうち12~13人は上級コースに所属しています。また、既にプロとして活動している人もおり、この工房で池ノ上さんと共に制作に携わっています。
壮大な宗教都市と僧兵集団「根来衆」
根来寺は、覚鑁上人(かくばんしょうにん/興教大師)により開創された新義真言宗の総本山。
平安時代後期、高野山は僧侶の堕落により真言宗没落の危機にありました。そこで、空海以来の学僧と言われた覚鑁が、宗派建て直しを断行。鳥羽上皇の庇護を受け、学問探究の場である伝法院、修禅の道場である密厳院を高野山上に建立しました。しかし、これで現状維持を望む保守派との対立が先鋭化、覚鑁派は高野山を去り、根来での活動を始めることになります。
根来寺の大塔(右)と大師堂
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その後、根来寺は多くの学僧を集め、室町時代末期の最盛期には450もの坊舎に僧侶など5000人以上が起居していたと見られています。根来塗は、これらの僧侶たちが使う什器として作られていたものです。
戦国時代の宣教師ルイス・フロイスは『日本史』の中で、紀伊(和歌山、三重)には四つか五つの「大いなる共和国的存在」があると書いています。その一つが根来寺で、寺領は72万石、根来衆と呼ばれる僧兵1万余の武装集団も擁していました。まさに一大宗教都市です。その上、根来衆の長・津田監物は、伝来したばかりの火縄銃一挺を種子島から持ち帰り、僧兵による鉄砲隊を創設。
寺の力が強大になる中、その勢力を危惧した秀吉は、根来寺を滅ぼすため紀州に侵攻、寺は全山焼失しました。江戸時代に入り、紀州徳川家により一部が復興されましたが、この秀吉の紀州攻めで多くのものが失われました。
1976(昭和51)年から行われた発掘調査では漆器や仏具、武器などおびただしい遺品が出土。それらは現在、岩出市民俗資料館に保管・展示されています。また、1989(平成元)年には根来史研究会が鉄砲隊を組織。市内外のさまざまなイベントに「出陣」し、僧兵姿の鉄砲隊として人気を集めています。
2014年取材(写真/田中勝明 取材/鈴木秀晃)
▼和歌山県岩出市
北を大阪府泉南市と阪南市に接し、県庁所在地・和歌山市の中心部から約15kmの県北の市。大和に近いため古くから開けていましたが、中世以降は新義真言宗総本山・根来寺が一大勢力を誇り、豊臣秀吉の紀州攻めで滅ぼされるまで非常に栄えていました。近年は1994年の関西国際空港開港に伴う開発で人口が増加、更には和歌山市内や大阪への通勤、通学者も多く、岩出市の人口増加率は県内で最も高く、全国的に見ても高い水準となっています。
【交通アクセス】
新大阪駅から特急くろしおで和歌山駅まで約1時間。和歌山駅でJR和歌山線に乗り換え約19分で岩出駅へ
大阪方面から阪和自動車道・泉南ICを降り南進。阪神高速4号湾岸線、関西空港自動車道経由で阪和自動車道に入ることも出来ます。距離的には湾岸線を使った方がやや近いですが、時間的にはいずれも岩出市内まで約1時間10分
写真説明
●根来寺の大塔と大師堂:大塔は高さ40m、幅15mの日本最大の多宝塔で、国宝に指定されています。大師堂は境内で最も古い建物で国指定重要文化財になっています。いずれも秀吉の焼き討ちをまぬがれたと言われますが、最も重要な二つの建物のみが無事だったことから、ここを残すために寺衆が自ら、他の箇所に火を放ったのではないかとの説もあります
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