多くの文人に愛された湯けむりとみかんの香り漂う町 - 湯河原

温州みかん
丘陵地での柑橘類栽培

都会の喧噪を離れのんびり出来る温泉街

湯河原は万葉集にも詠まれるほど、歴史ある温泉場です。しかし、明治、大正の頃までは、周辺の箱根、熱海に比べると知名度が極端に低く、観光で訪れる人も多くありませんでした。ただ、東京から近い上、静かな雰囲気と温暖な気候に恵まれていることから、夏目漱石や島崎藤村、芥川龍之介、国木田独歩など多くの文人たちが、静養のため足を運んでいました。

湯河原の地名は、河床から温泉が自然湧出していたことに由来しますが、その名の通り、静岡県熱海市との境界を成す千歳川と、その上流藤木川の岸に沿って温泉が湧き出ています。藤木川の更に上流には、1929年に掘られた広河原の奥湯河原温泉があり、高級旅館が建ち並んでいます。この二つの温泉は首都圏から電車でも行け、山と海に囲まれた豊かな自然の中、のんびり寛げる日帰り可能な温泉として人気を集めています。

古くからの温泉場である湯河原温泉の中心部には万葉公園があり、園内には万葉集に登場する草花が植えられています。万葉集の中で唯一、温泉について詠まれた湯河原を象徴する公園で、「日本の歴史公園100選」に認定されています。

この万葉公園の中に、日本最大級の足湯専門施設「独歩の湯」があります。湯河原を愛した国木田独歩にちなんで名付けられた足湯で、日本列島をイメージした円形施設の中に、効能が違う九つの足湯が設けられています。

また湯河原には文学者だけでなく、多くの芸術家も訪れていました。その一人、第1回文化勲章受章者の竹内栖鳳は、老舗の天野旅館に画室を設けて晩年の約10年を過ごしました。天野旅館は現在、町立湯河原美術館に生まれ変わり、湯河原ゆかりの画家の作品が展示されています。

また、日本画壇の第一線で活躍する平松礼二氏もこの地に愛着を持ち、湯河原美術館内に「湯河原十景」制作のための専用アトリエを設け、原則毎月第1・3土曜、日曜にはその様子を公開しています。

独歩の湯
独歩の湯

湯河原美術館の庭園には、平松画伯がモネ財団から譲られた貴重な「モネの睡蓮」を育成する池もあり、季節には可憐な花を咲かせます。この庭園を望む館内1階には、湯河原温泉で豆腐店を営む湯河原十二庵によるカフェ「アンドガーデン(and garden)」がオープン。豆乳スープや秘伝豆の濃厚ソイラテなど、ヘルシーなオリジナルメニューが味わえます。

温泉と言えば、夕食後のそぞろ歩きも楽しみの一つですが、最近は館内で全て完結してしまう宿が多くなっています。その点、湯河原の温泉場には、今も3軒の射的場が残っており、レトロな雰囲気を求めて温泉客が訪れています。

射的場
射的場

そんなそぞろ歩きの途中に見つけたのが、「なだや」という酒屋さん。店内にはこだわりの地酒や焼酎が並び、元銀行の金庫を利用したセラーにはワイン好きが泣いて喜びそうな逸品が取りそろえられていました。実はこの店、著名人も通うという知る人ぞ知る名店らしいです。取材の日はたまたまヨーロッパから仕入れてきたワインの試飲即売会をやっていたのですが、年に何回かはこうした企画を行っているそうです。また、1000円で選りすぐりの地酒が味わえる利き酒セットがあって、買う前に味見が出来るのもこの店の特徴。

湯河原で味わえるおいしいものたち

タイトルに付けたように、湯河原と言えば、温泉とみかんが二枚看板。湯河原みかんの特徴は何と言っても味の濃さにあります。ネーブルなどのオレンジ類や、清見やデコポンなどのタンゴール類も、めったに雪が積もらない湯河原では、樹上越冬が出来るため糖度が増します。現在、湯河原では「かながわブランド」の湘南ゴールドを始め30種類以上の柑橘類が栽培され、ほぼ1年中、おいしいみかんが味わえます。

また、これらのみかんを使った「湯河原みかんのジャム」もあります。湯河原温泉おかみの会プロデュースのジャムで、試作に試作を重ねて完成した、苦みのない優しい味が特徴。一方、地元の甘夏を使って正統的なマーマレードを作っている人もいます。榎本香咲花さんは、2018年3月に本場イギリスで開催された「ワールド・オリジナル・マーマレード・アワード」で銀賞を獲得した本格派です。榎本さんは、20年ほど前からマーマレードを作り友人たちに分けていましたが、イギリスで暮らした経験のある姪からコンテストの話を聞いて参戦。初挑戦での銀賞は立派ですが、ご本人は「金賞が獲れなくて悔しい」と話していました。

さて、湯河原にはみかんの他にもおいしいものが目白押し。その一つが、先に紹介した湯河原温泉の豆腐店、湯河原十二庵。

ご主人の浅沼宇雄さんは元システムエンジニアで、実家も豆腐店ではない全くの新規参入組。同窓会で、友人たちと話している時に出た「子どもたちが安心して食べられるものがない」という言葉が、全ての始まり。この後、浅沼さんはさまざまな試行錯誤を重ね、最終的に大豆を原料とした豆腐にたどり着いたのだそうです。

かねか水産
かねか水産の干物類
大豆は生産者のはっきりした国内の契約農家から仕入れ、湯河原のおいしい水で豆腐作りをしています。手間を惜しまずシンプルに、昔ながらの製法で丁寧に豆腐を作ることを心掛け、全くのド素人から、今では全国豆腐品評会(うまい豆腐選手権)で入賞するほどの力を付けています。特に品評会で評価を得た、山形の秘伝豆を使った絹ごしは絶品。週末限定で、湯河原温泉入口に近い店舗で食べることが出来ます。

もう一つ、湯河原で忘れてはいけないのが海の幸。福浦漁港を拠点に定置網で相模湾の新鮮な魚をとり、湯河原の温泉旅館に卸したり、より販路の広い隣の真鶴港、小田原港へ水揚げしています。

その福浦漁港の近くに、干物の加工所があったので訪ねてみました。ここは、古くから鮮魚の仲買卸をしている、かねか水産の加工所で、干物は直売もしてくれます。アジ、エボダイ、カマスやイカなどが1尾100円から買え、中には少々難のある干物を正規の半額で売ってくれることもあります。頼めば、プロの職人による加工風景を見学させてもらえるので、湯河原観光の折に立ち寄ってみるのもいいでしょう。

福浦漁港の目の前には、しらす直売所もあります。漁師の三輪忠弘さんが操船から漁、釜揚げまで孤軍奮闘、全て一人でこなしています。

相模湾のしらすは有名で、湯河原でも昭和30年代までは盛んでしたが、現在、湯河原でしらす漁に取り組んでいるのは三輪さんだけ。しらすが取れた時は店に旗を掲げ、ツイッターにも情報を掲載。すると、常連客などが生しらすを求め来店します。また、しらすが取れなかった日のために急速冷凍機を導入。鮮度をそのまま閉じ込めた急速冷凍生しらすも置いています。

2018年取材(写真/田中勝明 取材/鈴木秀晃)

湯河原駅前の手湯
湯河原駅前の手湯

▼神奈川県湯河原町

神奈川県西南端、特急踊り子号で横浜から50分弱、東京からでも1時間10分程度で行ける温泉町として、日帰り温泉など首都圏からの小旅行で人気の観光地。相模湾を東に望み、三方を箱根外輪山や伊豆、熱海の山々に囲まれ、豊かな自然に恵まれています。湯河原温泉には約160本もの源泉があり、ほとんどが混合泉。古くから神経痛や外傷に効能があるとされ、江戸時代には「傷の湯」として将軍に献上されていた他、日清・日露戦争の際には、湯河原温泉が陸軍転地療養所に当てられていました。黒潮の影響により1年を通じて温暖な気候であることから、温州みかんを始め多くの柑橘類が栽培されています。また、箱根山を中心とした箱根ジオパークの構成エリアになっており、箱根火山帯の一部となる湯河原火山の恵みを受けた湯河原温泉など、7カ所のジオサイトが指定されています。
【交通アクセス】
海沿いを小田原市と静岡県下田市を結ぶ国道135号が走り、その一部となっている真鶴道路や、小田原から箱根を経由して湯河原に至るアネスト岩田ターンパイク、奥湯河原温泉付近から湯河原峠付近を結ぶ湯河原パークウェイの三つの有料道路があります。
JR東海道本線の湯河原駅があり、東京駅から快速で約1時間半、小田原駅で新幹線を乗り継ぐと約1時間で着きます。

写真説明

●丘陵地での柑橘類栽培:1年を通じて温暖な気候に恵まれた湯河原の丘陵地で温州みかんなど30種類を超える柑橘類を栽培している小澤輝男さん


●湯河原美術館の庭園にある「モネの睡蓮」


●湯河原美術館内「and garden」の豆乳スープランチ


●秘伝豆を使った湯河原十二庵オリジナルのすくい豆腐


●温泉場の酒屋なだやでは購入前に日本酒の試飲が出来ます


●福浦港でしらす直売所をオープンし、漁から釜揚げ、急速冷凍まで一人で全てをこなす三輪忠弘さん


●アジを中心にさまざまな魚を加工する、かねか水産の干物加工所(Tel.0465-62-8555)

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