栗と北斎と花のまち。北信濃の観光地を歩く - 小布施

八方睨み鳳凰図
八方睨み鳳凰図

まるで町全体が、栗のテーマパーク

秋。小布施の町は、全国から押し寄せる観光客でにぎわいます。お目当ては新栗です。この季節限定のモンブランや、栗おこわ、また伝統的な栗菓子から素朴な焼き栗に至るまで、新栗を使ったグルメを求める人の波が、町のあちこちで見られます。

小布施は古くから栗の産地として知られていました。江戸時代には将軍への献上栗など、松代藩の進物用に使われました。水戸黄門こと徳川光圀の食の記録にも、甲州ぶどうや紀州梅と並んで、小布施栗の名が見られます。

栗林は松代藩の「留め林」となり、そこで採れる栗は「お留め栗」と呼ばれ、初栗の献上が済むまでは、栽培農家でさえも口にすることは出来ませんでした。その後、栗林の一部は幕府直轄の天領となり、小布施栗の名はますます高まりました。1811(文化8)年、この地を訪れた小林一茶は、「拾われぬ 栗の見事よ大きさよ」と、庶民の口に入らない小布施栗の様を詠んでいます。

ところが明治になると、養蚕の普及で栗は桑へと転作され、減少の一途をたどります。昭和には養蚕不況で再び栗が植えられ、一時は明治初期の状態に戻るも、戦後の食料増産による栗の木の伐採やリンゴ栽培の導入などもあり、小布施栗は時代によって大きく浮き沈みを見せてきました。

現在も、小布施栗の栽培面積は、リンゴやブドウ、モモ、ナシ、サクランボなど、他の果樹に比べると少なくなっています。が、最近は小布施の栗菓子が脚光を浴びて観光客が急増。それに伴い、栗の栽培も増えています。

 
小布施の栗菓子は1808(文化5)年の栗落雁に始まります。桜井幾右衛門が創製したもので、これが小布施栗菓子の始まりとなりました。更に1819(文政2)年には幾右衛門の弟、武右衛門が栗ようかんを創製。小布施で栗菓子を作る桜井甘精堂(桜井佐七会長)は、この幾右衛門、武右衛門兄弟から200年以上続く老舗で、1892(明治25)年には5代目(初代桜井佐七)が栗かのこ(栗きんとん)を創製し、小布施の代表的な栗菓子と言われる3品の完成を見ています。

小布施では現在、桜井甘精堂の他、竹風堂、小布施堂など、主な店だけでも7軒が栗菓子を作っています。小さな町で、これだけの栗菓子店が軒を連ねるのは珍しいですが、結果的にはそれが観光客を引き付けることになったのではないか、と桜井甘精堂の桜井昌季社長は話します。

「現代は菓子店には生きにくい時代なんです。競争相手はコンビニスイーツで、大手の会社が開発しただけあって確かにおいしい。そんな中、小布施は栗に特化したことで、分かりやすい町づくりに結び付いたんじゃないかと思います」

半径約2kmの狭い町の中に栗菓子の名店が軒を連ね、側には栗農園もあって、小布施の町全体が栗のテーマパークのようになっているのが、観光客に受けたのかもしれません。更に主な栗菓子店は全て自前の美術館や博物館を持っており、葛飾北斎の肉筆画を集めた北斎館と共に、小布施巡りの楽しみの一つとなっています。

しかも、栗菓子店にはそれぞれの特色があります。例えば桜井甘精堂は栗の風味が最優先。風味にこだわるあまり「栗菓子としては満点だが、ケーキとしては満点ではない」と社長が自己採点するメニューもありますが、それだけこだわりを持っているからで、味や食感は店により大きく異なります。観光客は好みの店を再訪したり、新たな発見を求めて他の店に入ったりと、いろいろな楽しみ方が出来、その分リピーターも多いようです。

もう一つの楽しみオープンガーデン

栗菓子店や博物館などを巡って、小布施の町を歩いていると、至る所で「Welcome to My Garden」と書かれた小さな看板を目にします。

桜井甘精堂
桜井甘精堂で創製された小布施を代表する菓子3種

これはオープンガーデンと呼ばれるもので、住人が丹精込めて作り上げた自宅の庭を一般に公開しているのです。小布施では2000年に38軒でスタートし、今では130軒もの家や店舗、学校などが参加しています。

しかし、庭に入ってくる人はどこの誰とも知れない不特定多数だし、セキュリティーやプライバシーなど、いろいろと問題も多いのではなかろうか、などと心配してしまいます。小さな町だけに、住民だけならほとんどが顔見知りでしょうが、それも崩れてしまいます。普通なら反対意見が噴出してもおかしくはありません。が、小布施の人たちは、そんな否定的な考えは持たずに、前向きに町づくりに取り組んできたといいます。

市村良三町長は「オープンガーデンによる町づくりの底流には小布施の人たちの『町を愛する心』や『お客様をおもてなしする心』が強くあります」と話します。

そもそも小布施には古くから、「お庭ごめん」という文化があり、他人の家の庭でも普通に通り抜けていたそうです。「外はみんなのもの。内は自分たちのもの」という考え方で、それぞれが自分の庭を解放し、お互い便利に抜けられるようにしていたのです。

栗おこわ
桜井甘精堂の栗おこわ

そんなこともあって、オープンガーデンに対する拒否反応も低かったのかもしれません。とはいえ、住民と行政が協働して運営するオープンガーデンは、全国でも初めてとなる試みだったそうで、やはり町長が言う「お客様をおもてなしする心」が強い町なのでしょう。

実は町長の家もオープンガーデンになっています。町長夫人である市村多喜子さんが、普段からこまめに手入れをしている庭で、樹木が多く、見頃は春の芽吹きと秋の紅葉。ただ、市村家の庭を見せて頂いて気になったのが、玄関横に置かれたビールサーバーの存在。

後で聞くと、誰でも自由にこのビールサーバーを使ってビールを飲んでいいらしく、どれだけ「おもてなし」をする気なのか、とさすがに驚いたものです。次は遠慮せず、ジョッキを持ってお邪魔したいと思います。

▼長野県小布施町

長野県北部、周囲を千曲川など三つの川と雁田山に囲まれた長野盆地の一角にあり、町役場を中心に半径約2kmの円に入るコンパクトな町。内陸の盆地らしく寒暖の差が大きく、また全国的に見ても雨量の少ない地域で、こうした気候条件と、弱酸性を帯びた土壌により、色合いや風味に秀でた特産の栗や、味の良いリンゴ、ブドウなどを産出しています。千曲川の舟運が発達した江戸時代には定期市がたち、北信濃の経済・文化の中心として栄えました。幕末には、葛飾北斎や小林一茶など多くの文人墨客が訪れ、地域文化に影響を与えました。
【交通アクセス】
町内を長野電鉄長野線が通り、小布施、都住の二つの駅があります。長野駅から小布施駅まで特急で22分
主要道は町を南北に走る国道403号で、上信越自動車道の小布施パーキングエリア内スマートICから市街地まで約20分

写真説明

●八方睨み鳳凰図:葛飾北斎最晩年の作と伝えられています。岩松院本堂の21畳敷の天井一面に描かれた作品は迫力満点

オープンガーデン


●オープンガーデン59(桜井佐七さん)「北信濃の自然、建築と調和する現代の書院式庭園」。桜井さんが会長を務める桜井甘精堂「泉石亭」の庭園



●オープンガーデン62(栗ガ丘小学校中央花壇)中心となるのはオープンガーデン委員ですが、全校児童が何らかの作業に関わり花壇を作っています

●オープンガーデン63(樋田正彦さん)「新旧の樹が共存する庭。せせらぎの音に心が和む」。親族が営む古民家カフェ「珈茅(こち)」への近道にもなっています


●オープンガーデン64(市村多喜子さん)「小布施の町並みに配慮した花咲く樹木と和花の庭」。市村さんが店主を務める和菓子「いちむら」も庭園内にあります

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