歴史と文化に彩られた伊予の小京都 - 大洲

臥龍山荘・不老庵
肱川から望む臥龍山荘・不老庵

肱川のほとりに建つ名建築・臥龍山荘

大洲を流れる肱川は、市の中心部で大きく蛇行した後、北西へ向かって流れ、同市長浜で瀬戸内海に注ぎます。晴れて冷え込んだ冬の朝、内陸で発生した霧が強い風に乗って、肱川沿いを一気に駆け下り、河口の長浜を包み込みます。「肱川あらし」という世界的にも珍しい気象現象で、ゴォーゴォーと音を立てて流れる霧の帯は、大洲の冬の風物詩となっています。

そんな肱川の中でも、景色が最も美しいとされる臥龍淵の崖の上に、茅葺きの建物があります。明治時代の貿易商・河内寅次郎が建てた臥龍山荘の離れ不老庵で、懸造りの束柱の中に、生きたマキの木が一本、捨て柱として混ざり、今も枝を延ばしています。また、天井はかまぼこ型をしており、満月の日には川面に映った月明かりが反射して、部屋を明るくします。

臥龍山荘の母屋である臥龍院は構想10年、工期4年と言われ、京都の桂離宮や修学院離宮などを参考に、隅々にまで気を配った設計がなされています。しかも、内部の造作には、代々千家の茶道具を作ってきた千家十職が携わり、まるで工芸品のような手の込んだ造りになっています。

明治維新で大名家が瓦解し、その影響を受けた千家も苦境に陥ります。当然、千家の流れをくむ職人たちも、大きな仕事が出来ない状態にありました。そんな時代に、河内寅次郎が、さまざまな仕事を依頼。その一つが臥龍山荘で、実際に大洲へ来て細工を施したのは、金物師の中川浄益、表具師の奥村吉兵衛、指物師の駒澤利斎、塗師の中村宗哲の4人だったと言われています。

臥龍山荘石積み
臥龍山荘石積み
臥龍院は、天井の高さや窓の配置、採光、風の通りなど、全てを計算して、空間に深い意味を持たせています。また、各部屋(清吹の間、壱是の間、霞月の間)にはそれぞれテーマがあり、それに沿った趣向を凝らしています。

例えば、客間である壱是の間は、能舞台としても設計されており、音響を良くするため、床下には備前焼の壺が四方に3個ずつ、合計12個配置されています。

臥龍山荘は、大洲市から委託を受けた大洲史談会が管理し、一般公開されています。最近、興味深い観光地を紹介する「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で一つ星を獲得し、注目を集めました。

造作を始め、全てに意味が込められているので、時間を掛けじっくり見て回りたいところです。管理者の方に説明してもらうと、より興味深い時間を過ごすことが出来ます。

往時の姿を復元した大洲城木造天守

大洲市は、大洲藩の城下町で、今も往時の家並が残ることから「伊予の小京都」と呼ばれています。

1966年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地に選ばれたのも、古い町並みが残っていたためでした。主人公・林はなが実際に生まれ育ったのは徳島市でしたが、徳島の古い町並みは戦災でほとんど失われていたため、撮影地は大洲になりました。

「おはなはん」の平均視聴率は45.8%、最高視聴率は56.4%で、放送時間になると水道局の水量メーターが一気に下がったと言われ、「朝ドラ」人気を決定付けた作品でした。ロケが行われた町並みは現在、おはなはん通りと呼ばれ、多くの観光客が訪れています。いわば「ロケ地町おこし」の発端となったドラマでもあります。

大洲藩鉄砲隊
大洲藩鉄砲隊

そんな大洲のシンボル・大洲城は、明治維新後、次第に城郭が取り壊される中、本丸の天守と櫓の一部は地元住民の活動によって保存されてきました。が、天守閣は老朽化のため、1888(明治21)年に解体。それでも四つの櫓はいずれも国の重要文化財として大切に保存され、かつての面影を今に伝えています。

この大洲城は、築城当時に造られたと思われる天守雛形を始め、江戸時代の古絵図や明治時代に撮られた写真など、多数の資料に恵まれ、往時の姿を正確に復元出来る日本でも数少ない城だと言われていました。そこで、大洲市が市制施行40周年を迎えた1994(平成6)年に天守閣復元事業がスタート。5億円を超す市民からの寄付もあり、10年後の2004(平成16)年、市制50周年の年に木造天守として復元されました。

4層4階建ての天守(19.15m)は、戦後復元の木造天守としては日本一高く、しかも伝統工法により往時の姿をほぼ正確に復元したことから、歴史的価値が非常に高いと評価されています。

2014年取材(写真/田中勝明 取材/鈴木秀晃)

おはなはん通り
おはなはん通り

▼愛媛県 大洲市

南予地方にあり、肱川流域の大洲城を中心に発展した城下町で、「伊予の小京都」と呼ばれます。なまこ壁の家や腰板張りの土蔵群などが並び、1966年から翌年にかけ放送されたNHK連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地になりました。日本100名城の一つに数えられる大洲城は2004年に木造で天守閣が復元されました。市の中心部を流れる肱川では鵜飼いも行われます。また、肱川河口の長浜大橋は国登録有形文化財に登録され、稼働中のものとしては国内唯一の道路開閉橋となっています。
【交通アクセス】
JR予讃線特急で松山駅から伊予大洲駅まで約35分
松山市内から松山自動車道を利用し、高速大洲ICで下りて約1時間。松山空港からは伊予ICで松山自動車道に入り、やはり高速大洲IC経由で約1時間

写真説明

●臥龍山荘石積み:門をくぐってまず目を奪われるのが、変化を持たせた石積みの中に繁茂するチシャの木
●大洲藩鉄砲隊:大洲城天守閣の復元10周年を記念して結成されました
●藩政時代の商家が建ち並ぶおはなはん通り。道の反対側には武家屋敷も残っています

臥龍院
●深い軒が美しい臥龍院「壱是の間」。濡れ縁側は柱を少なくし庭を一望出来るようにしています。濡れ縁には中川浄益の刻印のある飾り釘もあります


●市街地から車で1時間ほどの所にある御幸の橋。杉皮葺の屋根付き橋で、釘は一切使われていません。この橋を含む一帯は坂本龍馬脱藩の道と言われます




●いもたき:藩政時代の「お籠もり」という行事が元になっている大洲の伝統料理。特産の夏芋(里芋)を河原へ持ち寄り、鮎から取っただしで炊き、それを食べながら相談事をしたといいます。毎年いもたき開催の初日には「初煮会」が行われ、大鍋で炊かれたいもたきが無料で振る舞われます



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