不易流行。500年の歴史に新たな一歩を記す「嬉野茶寮」- 嬉野

嬉野茶寮
嬉野茶寮

歴史ある嬉野三大ブランドのコラボが実現

2017年5月27、28日の両日、嬉野の温泉街を望む山腹の茶園で、「嬉野茶寮」による新茶会が催されました。これは嬉野温泉旅館、肥前吉田焼窯元、若手茶農家を中心とした「嬉野茶時プロジェクト」の一つ。

嬉野茶は500年以上の歴史を持ち、全国にその名を知られています。が、日本茶全体に占めるシェアは知名度の割には高くありません。また、近年は高齢化や後継者不足により廃業する茶農家もあり、茶畑の面積は年々減少。嬉野茶時は、そうした現状に危機感を抱く若手茶農家たちが、お茶の新しい魅力を発掘し、自分たちから発信していこうと企画したものです。

その第一弾が、2016年8月、期間限定で開設した喫茶・嬉野茶寮でした。和多屋別荘と旅館大村屋の中にオープンした喫茶は、茶農家自らが自慢の茶葉でお茶を淹れサービスするという、今までにない形式のものでした。初めての試みで不安もありましたが、ふたを開けてみると席待ちの客が列を成すほどの盛況ぶり。

あまりの反響の大きさに、1回限りの企画だったところ、年に4回、四季を表現する茶事として継続することが決定。初回の「うれしの晩夏」に続き、「うれしの深秋」、「うれしの春夢」、「うれしの花霞」を開催しました。そして2017年の5月に、特撰の新茶を楽しむ新茶会を実施。会場は、山の中腹にある茶園にしつらえた特設の「天茶台」で、客は各日限定10人。ゆったりと新茶を味わってもらいながら、嬉野茶に対する茶農家の思いや栽培への姿勢を伝える貴重な機会となりました。

嬉野茶時のキーマンは、嬉野温泉の老舗旅館・和多屋別荘の代表を務める小原嘉元さんと旅館大村屋第15代当主の北川健太さん、そして茶農家の副島仁さん。同世代の3人は、それぞれの立場で嬉野の将来を見据えた新しい動きを模索していました。そこへ、副島さんをリーダーとする若手茶農家が結集。更に嬉野茶、嬉野温泉と並ぶ伝統産業・肥前吉田焼の窯元にも加わってもらい、嬉野を代表する三大ブランドのコラボレーションが実現することになりました。


嬉野茶寮が始まってまだ4年。が、既に各方面から注目を集めており、今後、さまざまな展開も期待されています。その一つが「肥前吉田焼デザインコンペティション」。

肥前吉田焼
肥前吉田焼
肥前吉田焼は日常使いの生活雑器を中心に、400年もの歴史を持ちます。ところが、同じ肥前の焼き物でも、有田焼や波佐見焼に比べると、極端に知名度が低いと言わざるを得ません。ただ、吉田焼を目にしたり使ったりしたことのある人は、実は結構多いはずです。紺地に白いドット柄の急須や湯飲みがそれ。この水玉柄茶器は吉田焼の代名詞とも言われ、「日本の食卓の象徴」として2010年グッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞しています。

そんな吉田焼の可能性を広げようと始まったのがデザインコンペで、国内外のデザイナー109人が参加。選ばれた10点は3月の嬉野茶寮でお披露目され、更に今後、実際に商品化されて肥前吉田焼窯元会館などで販売されることになっています。

居蔵造りの町家が軒を連ねる塩田津の家並

嬉野の温泉街から塩田川に沿って10kmほど河口へ下ると、蔵造りの家が軒を連ねる塩田津の町並みがあります。江戸時代、長崎街道の宿場町として、また有明海の干満差を利用した河港都市として栄え、約1kmにわたって廻船問屋や商家が建ち並びました。

有明海の干満差は5~6mもあり、その潮を利用して、かなり大きな船が行き来していたそうです。中でも塩田津の発展に大きく関わったのが「天草石」で、熊本の天草地方で採取した陶石を島原湾、有明海を経て塩田川から直接運搬出来、また肥前の窯業地に近いことが利点となりました。塩田津では、荷揚げされた天草石を砕いて陶土や釉薬を作り、それを有田や伊万里、波佐見、吉田などの焼き物産地へ運び、それらの陶磁器や米が、帰りの荷となりました。

こうして発展した塩田津は、明治に入って祐徳稲荷神社(鹿島市)~武雄間の馬車軌道や、塩田~嬉野間の県内初の電車開通など、時代の先端をいく開発が続き、ますますの繁栄を見せることになりました。しかしその後、長崎本線の敷設や車社会の到来により、船運の需要が激減。また昭和37年、昭和51年と2度にわたる塩田川の氾濫を機に川の付け替えが行われ、塩田津は河港としての歴史に幕を下ろすことになりました。

塩田津
塩田津の町並み

塩田津の町並みの特徴は「居蔵家」と呼ばれる家屋が数多く残っていること。簡単に言えば店舗兼住宅なのですが、塩田津の場合はそれが重厚な蔵造りになっています。1711(正徳元)年や1789(寛政元)年の大火を始め、5度にわたる火事で町の大半を焼失したことから、火事を出さない、またもらわない家屋として蔵造りが選ばれました。

現在、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている塩田津の町並みには、居蔵造りの家が17軒現存しており、非常に重厚なたたずまいを見せています。特に町並みの中ほどにある、国指定重要文化財の西岡家住宅と、国登録有形文化財の杉光陶器店は塩田津を代表する町家として、往時の繁栄ぶりを今にとどめています。

志田焼きの里博物館
志田焼きの里博物館

また塩田川を外れ、塩田津から北へ3kmほど行くと、志田焼の里博物館があります。ここもかつて天草石による磁器の焼成が行われ、最盛期には五つの登り窯で大量の焼き物が生産されていました。志田焼の里博物館は大正から昭和にかけての大規模な磁器工場がそのまま博物館となったもの。国内最大級の大窯もあり、博物館の下にある焼き物倉庫群と共に、近代化産業遺産に認定されています。

2017年取材(写真/田中勝明 取材/鈴木秀晃)

▼佐賀県嬉野市

嬉野市は佐賀県南西部、2006年1月1日に、長崎県境にあった嬉野町と、隣接する塩田町が合併して誕生。新市名は嬉野市で、新庁舎は元の塩田町役場に置かれました。嬉野は500年以上前から栽培されている嬉野茶の産地として知られ、また日本三大美肌の湯と言われる嬉野温泉、400年の歴史を持つ肥前吉田焼など、豊富な観光資源を持ちます。一方の塩田は有明海の干満差を利用して発展した河港都市で、塩田川と長崎街道という水陸二本の動脈に挟まれて蔵造りの町家が軒を連ね、塩田津と呼ばれる地域は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
【交通アクセス】
建設中の九州新幹線長崎ルートに「嬉野温泉駅」(仮称)の設置が予定されていますが、現在は市内に鉄道駅がなく、隣接する市町の肥前鹿島駅(長崎本線)、武雄温泉駅(佐世保線)、彼杵駅(大村線)が最寄駅となります
主要道は旧長崎街道をたどる国道34号。長崎自動車道嬉野ICがあり、長崎空港から約30km、佐賀空港からは約50km

嬉野温泉源泉
嬉野温泉源泉

写真説明

●嬉野茶寮:嬉野茶寮のスタイルで、茶園の中に設けた天茶台でお茶をいれる副島仁さん(撮影協力/副島園 Tel.0954-43-0051)
●肥前吉田焼:「日本の食卓の象徴」とも評される紺地に白いドット柄は肥前吉田焼の代名詞ともなっています
●塩田津の町並み:重要伝統的建造物群保存地区に指定され、居蔵造りの重厚な町家が軒を連ねています
●志田焼きの里博物館:経済産業省認定の近代化産業遺産になっています
●嬉野温泉源泉:源泉の湯温は約100度と熱く、60軒ほどある温泉宿ではそれを冷まして使っています


●肥前吉田焼デザインコンペ入選作の一部


●温泉湯豆腐
嬉野温泉の湯はナトリウムを多く含む弱アルカリ性の重曹泉で、この温泉水で木綿豆腐を煮ると、表面が溶け出し煮汁が豆乳色に変わります。角が取れ、とろとろになった豆腐を、薄い塩味を付けた煮汁と一緒にすすると、柔らかい食感とまろやかな味が堪能出来ます。発祥の店と言われる「宗庵よこ長」の初代が、豆腐を温泉水で炊くと、とろけるような食感になることに着目し、料理に活用したことが始まり。今では嬉野市の名物料理となっています。その中で発祥の店では、直営工場で作った嬉野産大豆100%のこだわり豆腐を提供。残った煮汁で雑炊を作ってもおいしいです。(撮影協力/宗庵よこ長 Tel.0954-42-0563)

コメント