町民と行政が一体となって取り組む、街並みづくり100年運動 - 金山

金山住宅
金山住宅

伝統的な真壁造りが特徴の美しい町並み

1878(明治11)年、日本を旅したイギリスの作家イザベラ・バードは、その紀行文『日本奥地紀行』の中で、金山町を「ロマンチックな雰囲気の場所」と評しました。それから140年が経った現在も、金山のロマンチックな雰囲気は変わっていません。

一歩町に入ると、まるで中世ドイツの木組みの町並みを思わせる美しい木造住宅が軒を連ねます。これらは金山住宅と呼ばれる、この地の伝統的な家屋。左の写真の建物は、バードが訪れた翌年に建てられた旅籠(旧やまに旅館)で、今は住宅になっていますが、往時の姿そのままです。

金山では、このような家があちこちに残ります。更に新築住宅も伝統工法で建てられているため、外観だけでは新旧が分からず、非常に統一感のある家並となっています。

金山町では、1984年から「街並み(景観)づくり100年運動」がスタート。86年には「金山町街並み景観条例」が制定され、町内の家を金山住宅に誘導することで、街並みの整備を進めてきました。

年に20戸ずつ、100年で町内全戸に広げることを目標にしていましたが、実際にはそれを上回るペースで進み、33年が経った現在、金山住宅建築の助成を受けたのはおよそ2000件に上っています。これは町の世帯数約1800戸を上回りますが、最初の頃に実施した家の修繕やメンテナンスも含まれているためです。この事業の発案者は当時の岸宏一町長で、以来、3代の町長が、継続的に取り組んでおり、町民のほとんどが事業を支持していることがうかがえます。

金山町は、林業と共に歩んできた町です。町域の約4分の3を森林が占め、周囲の山には杉の美林が広がります。このうち樹齢80年以上の木を「金山杉」と呼び、金山住宅にはその木材が使われます。

金山杉
金山杉
豪雪地帯の金山では杉の生長が遅く、また雪の重みで樹齢10年ぐらいまでは根元から曲がっているものが多くなっています。が、除伐や間伐など、きちんと手入れをすることで、曲がりが分からないほど幹が太くなり、真っ直ぐ伸びた杉へと成長します。80年という歳月は、金山杉が金山住宅の建築材になるために必要な時間ということでしょう。こうして育てられた金山杉は、年輪の目が詰まっているのが特徴で、建築材として非常に美しいものになっています。

金山町の公営住宅は金山杉で建てられますが、床には厚さ30mmの無垢材が使われ、天井も杉板張り。更に伝統的な日本家屋である真壁造りになっているため、柱や梁が表に出て、木の美しさが強調されています。

最近の住宅は、設計に合わせて工場で建築材をカットし、現場はそれを組み立てるだけという形式が多くなっています。が、金山では、伝統的な工法を維持。最新の建築基準に従い、要所要所には金具など現代の部材も使用していますが、基本的には職人がカンナやノミを使って仕上げます。地方によっては、昔ながらの作業が出来る大工さんがほとんどいなくなってしまった所もあるようですが、金山に限ってそんなことはなさそうです。

金山では、街並みづくり100年運動によって、木を植え育て、その木を切って使うという山里の循環が成り立っています。金山のロマンチックな町並みは、人々のこうした営みによって生まれたものです。

地域循環型社会の見本・金山ライフ

金山杉と金山住宅の関係は、地域循環型社会の見本のようなものですが、そこで暮らす人たちの中にも、地域循環の考えは息づいています。

そんな思いを持つ町民の一人が、認定こども園めごたまの井上亘園長です。「めごたま」というのは、この地方の方言で「かわいい子ども」の意。めごたまは、人口減少に伴い町内の保育園と幼稚園が統合され、2011年に出来ました。

認定こども園めごたま
認定こども園めごたまの園舎

井上園長は千葉県我孫子市生まれの移住者ですが、昔からの山里の暮らしを今もこの地で実践している人たちがいることに感銘。衣食住やエネルギーを、地元のもので賄ってきた地域循環型社会を、幼児教育の場に生かすことを目指しています。

その強い信念が現れているのが、金山杉をふんだんに使った園舎です。特に樹齢200年の杉を切り出した梁や直径1mを超す金山杉をそのまま使った柱は見事。また、おもちゃや遊具も金山杉で作られており、それだけでも地域循環が強く意識されていることが分かります。更には園の暖房に薪ボイラーを導入したり、園内に田んぼと畑を設け、園児たちが自分で育てた作物を食べたりと、こども園は循環型社会の縮図のようになっています。

園庭には保護者の協力で作られた木の遊具や動物小屋があり、小屋ではポニーやヒツジが飼われ、子どもたちが面倒を見ています。園の屋根は屋上緑化がされ、今後は園庭から屋根までスロープを掛け、ポニーやヒツジを放牧することにしています。また、将来的には敷地内にある裏山も整備する計画で、園での生活全てが山里の暮らしに結び付くよう考えられています。

その井上園長が手本としたのが、杉沢地区にある「暮らし考房」のオーナー・栗田和則さん(75歳)です。

栗田和則さん
暮らし考房のオーナー栗田和則さん
杉沢は、金山町で最も奥にある集落で、山間の沢沿いに12戸の民家が点在しています。かつては18戸が暮らしていましたが、いつしか集落を離れる人が増え、急速に過疎化が進みました。ここで生まれ、ここに暮らす栗田さんにとって、それは悲しい現実でした。そこで「ここにしかない暮らしをみんなで考え、創造していこう」と、25年前に「暮らし考房」を開きました。一緒に考えるから、「工房」ではなく「考房」としました。

栗田さんは、地域の仲間と共に山での暮らしを継承することを目指しました。そのためには新たな仕事を創造し、山里の暮らしを豊かにしていかなければなりません。そこで目を付けたのが、山に自生するイタヤカエデでした。

山に暮らす炭焼きの間では、古くから「2月泣きイタヤ」という言葉が言い伝えられていました。雪解け前の旧暦2月、イタヤカエデに傷をつけると、涙のようにぽたりぽたりとほのかに甘い樹液をたらし、それが炭焼きで疲れた体を癒やしてくれました。

栗田さんはこの樹液を集め、メープルシロップを作ることを思いつきます。ただ、1本の木から採れる樹液は約20リットル。しかも樹液が出るのは2月末から3月にかけての10日から2週間のみと条件は厳しいものでした。仕事として確立させるためには、何年も試行錯誤を重ねました。その結果、現在では約110本のイタヤカエデを管理し、年間2000リットル強の原液を採取。これを元にシロップや飲料水(サップ)、ビールを造って、金山にしかないオリジナル商品を開発しています。

栗田さんは、こうした経験を全て開示。また日本メープル協会を立ち上げ、樹液の採取法やシロップの糖度などの統一基準も定めました。そしてイタヤカエデでメープル商品を作り、それを通じて山里の魅力が発信出来るよう活動を続けています。

2019年取材(写真/宮坂恵津子 取材/鈴木秀晃)

▼山形県金山町

山形県北東部、町の東は秋田県湯沢市に接しています。江戸時代は羽州街道の宿場町として栄え、佐竹氏や津軽氏など諸大名が参勤交代の折に利用しました。旅人も多く、金山宿には本陣を始め旅籠や商家が軒を連ねました。明治の市町村制実施に伴い金山村になり、大正14年に町制を施行して以来、昭和、平成と合併することなく現在に至ります。昭和57年には全国に先駆けて「公文書公開条例」を制定。地方自治体で初めて情報公開制度を作った町として知られます。更に「街並み(景観)づくり100年運動」(昭和59年)の下、61年には「街並み景観条例」を制定。行政と町民が一体となって町づくりに取り組み、グッドデザイン賞、土木学会デザイン賞などを受賞しています。
【交通アクセス】
山形県と秋田県内陸部の大動脈・国道13号と、秋田県湯沢市を起点に山形県酒田市を終点とする国道344号が主要幹線となっています。
現在、町内には鉄道の駅はなく、最寄りの新幹線駅は隣接する新庄市にある新庄駅で、同駅から町の中心部までは車で約20分。

マルコの蔵
マルコの蔵

写真説明

●金山住宅:切妻屋根に白壁、褐色の柱が美しい伝統的な「金山住宅」の町並み。柱や梁が外に出て、そのまま意匠となっている真壁造りが特徴
●金山杉:江戸時代から続く日本有数の美林「大美輪の大杉」
●認定こども園めごたまの園舎:めごたまの園舎には金山杉がふんだんに使われています
●暮らし考房の栗田和則さん:日本メープル協会代表理事も務めています(暮らし考房:Tel.0233-52-7132)
●マルコの蔵:町には古い蔵を再生した施設が点在。これらの施設と共に、錦鯉が泳ぐ町の景観施策のシンボル「大堰」や金山住宅の町並みなどを回れる散策路も整備されています


●金山町の公営住宅には、柱はもちろん床や天井など、全てに金山杉がふんだんに使われています


●伝統的な工法で住宅を建てる金山大工の栗田俊秀さん(43歳)


●金山杉を使ってライフスタイルに合わせたモダンな住宅を建てる人もいます(取材協力/杉井範之氏)


●メープルの里「暮らし考房」のメープル商品


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