絶滅の危機から蘇り、やんばるの自然で育つ琉球在来種 - 名護
のびのび健康に育てられている黒琉豚アグー |
絶滅の危機に瀕した在来種
沖縄県の在来豚をアグーと言います。粗い毛に覆われた黒い小型の豚で、眉間には八の字にシワが寄り、白目は黄金色。四肢はがっしりとして太く、背中は凹形に湾曲し、腹部は地面まで届きそうなほど垂れています。まるでハイヒールを履いているような姿から「貴婦人」に例えられる白豚のランドレース種などに比べると、多少不格好に見えます。それでも一部の沖縄の人にはこの黒い在来豚がどうにも愛らしく、しかもうまそうに映るらしいです。アグーの原種は1385年頃、航海の食材として船で飼育されていた豚で、中国から当時の琉球に持ち込まれたと伝えられています。一説には、黒糖の生産で知られる粟国島を経由して入って来たため、島の名から「アグー」と名付けられたとも言われます。
琉球王朝では宮廷料理のメーンディッシュが豚肉で、これが次第に庶民にも広がり、年中行事や慶事のごちそうとなりました。以来、沖縄ではソーキ(骨付きあばら)やミミガー(耳)、テビチ(足)、チラガー(顔の皮)で知られるように、豚は「鳴き声以外」すべて食べ尽くされる食材になっています。当時は一家で2~3頭、多くて5~6頭を飼い、家庭で出た残飯やサツマイモとそのつるを、丁寧に火を通してから与えるなど大切に育て、愛情をもって肉にしました。
1950年代までは沖縄にいた豚の約8割がアグーで、どこの農家でも見ることが出来ました。ところがこの後、ショッキングな事実が発覚します。
1981年、名護博物館が沖縄県内の在来家畜の展示飼育を手掛けることになり、調査を行ったところ、宮古馬や与那国馬、琉球犬といった沖縄特有の在来家畜が全般的に減っていることが分かったのです。特に在来豚アグーは壊滅的で、県内に残っていたのはわずか30頭でした。戦争を機に数が激減したこともありますが、品種改良によって生まれた生産効率の良い白豚が沖縄に入って来て、養豚農家が好んで白豚を飼育し始めたこともあります。その結果、いつの間にかアグーは県内の豚舎から姿を消していたのです。
北部農林高校の家畜農場 |
「もうからない豚はいらないというのが関係機関の言い分でした。豚肉の評価と価格は赤肉の比率で決まりますが、脂身が多いアグーは商品としての価値がない等級外の扱いでした。それに、一般的な白豚が7カ月で出荷出来るのに対し、アグーの場合は1年を要します。生育日数が長い分、餌代もかさむとあって敬遠されたのです」
誰も相手にしない中、唯一名乗り出てくれたのが、商売の世界とは一線を画した県立北部農林高等学校でした。
アグー復活への道のり
名護市にある北部農林高校の熱帯農業科には、実習施設として家畜農場があり、畜産コースを選択した生徒はここで定期的に実習活動を行います。現在も、1年生は週に1度、2・3年生は週に2度農場に来て、丸一日かけて家畜の世話をします。今では当たり前のようにアグーの世話をしていますが、1984年に学校がアグーを引き取ることになった時、当時の生徒にとっては気が引き締まる教材だったに違いありません。交配で頭数を増やす試みが始まったものの、学校に集まったアグーのほとんどが親子や兄弟、親戚と、血が近いもの同士でした。そのため近親交配による奇形や死産が増加。奇形個体は繁殖交配させられないので、泣く泣く潰しました。原種同士で交配をするには個体数が少な過ぎたのです。検討の結果、他の品種の豚を交配に使って一度血を薄くし、再びアグー原種とかけ合わせていく「戻し交配」という手法を取ることにしました。生まれた子豚の中から雑種要素の強い個体を除き、原種に近いものだけを更にかけ合わせていきました。この気が遠くなる作業を繰り返し、1995年にようやく原種に限りなく近い黒い豚が蘇りました。
2000年には、北部農林高校を始め今帰仁村にある沖縄県畜産試験場などが連携し、琉球在来豚アグー保存会が発足。在来種保存に向けての取り組みはその後も継続され、現在、保存会だけで200頭、豚疫のリスクヘッジとして県内各方面へ分散しているものを合わせると数百頭近くまでアグーは回復しています。
アグーのこれから
絶滅の危機を乗り越えたアグーに、白豚の基準とは別の付加価値を与え、ブランド豚として流通させようとする動きがこのところ盛んです。
㈲宮松建設では、自社で育成するアグーに琉球の黒豚という意味で「黒琉豚アグー」と名付け、直売店とネット通販によるアグー肉の販売を開始しました。本業は建設業の同社ですが、もともと宮城辰雄社長と、兄の宮城優専務の実父は畜産業兼生肉店を営んでいました。弟と共に建設業に身を投じたものの、一度は家業を継いだ経験のある専務は、廃業にした後も個人的に豚を養うほどの豚好きでした。機会があれば知人に自分で育てた豚肉を振る舞っていましたが、その味が抜群とあって、ますます畜産にのめり込みました。そんな折に出会ったのが、まだ希少だったアグーです。社内に事業準備室を立ち上げ、本格的にアグーの育成を開始。少しずつアグーを集めては交配を繰り返し、10年かけて約130頭まで増やしました。
黒琉豚アグーの肉 |
特に専務がこだわったのはアグー種の血の濃さです。沖縄県家畜改良協会によって、アグーの血は薄い順に1~7にグループ分けされ、それぞれアグーである証として登録証が与えられますが、同社が扱うのは4~7の等級。血の濃さに比例して、純正アグーの特質はより肉質に反映されます。アグーの肉は、うまみ成分が豊富で、コレステロールが少ないのが特徴。肉に臭みがなく、脂も甘くあっさりした上品な味わいです。
また、北部農林高校は、種の保存に注力する一方で、アグーに別の品種の豚をかけ合わせて生産性を上げる取り組みも進めてきました。2003年には、多くの肉が取れる米国原産のデュロック種のメスとアグーのオスをかけ合わせた「チャーグー」を開発。アグーの肉質を受け継ぎながらも、肉量の多い上質のブランド豚として売り出し中です。
黒褐色の子豚が、北部農林高校が開発した「チャーグー」 |
希少種であるはずのアグーの肉ですが、実は市場で1万頭を超える量が流通していると言われます。多くは、いくらかアグーの血が入った豚をアグーと呼び、ブランドにあやかっているケース。その是非はともかく、琉球時代から続く食文化を支えてきた在来豚の遺伝子資源は、保存会や高校、民間企業や各種団体の努力によってまずは守られました。そして、この血脈をどう生かしていくかは今後の課題です。種が復活したはいいですが、利用が拡大しなければ、かつてのように知らぬ間に豚舎から姿を消してしまいかねません。本当の意味でのアグー復活は、まさにこれからが正念場です。
2012年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)
写真説明
●北部農林高校の家畜農場:夏休み中も交代で熱帯農業科畜産コースの生徒たち通って世話をします
●黒褐色の子豚が、北部農林高校が開発した「チャーグー」:沖縄で「いつも」を意味する「チャー」と、「GOOD」の「グー」が語源
●黒琉豚アグーの肉:豚肉は嫌いだが、この肉ならば食べられるという人もいるほどクセや臭みが少なくなっています
●眉間(みけん)に深い八の字型のシワがあり、背は凹み、腹は地に着きそうなくらい垂れているのがアグーの外見的な特徴
●アグー復活の拠点となった名護市は、やんばる地域の中心的な街
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