本物の中の本物を輩するはまぐり碁石と、かや碁盤の里 - 日向

日向はまぐり碁石の誕生

囲碁の世界にかつてない異変が起きています。碁会所に集った年配の男性たちが、日がな一日碁盤を挟んでじっくりと対局・・・そんなイメージを覆す光景が最近見られるようになりました。囲碁普及団体が開催する最近のワークショップでは、参加者の7割、入門者のほぼ9割を20~30代の女性が占めるというのです。童話の森にいそうな「森ガール」や、アウトドア・ファッションに身を包んだ「山ガール」といった女性たちが一世を風靡していますが、最近は新たな趣味として囲碁をたしなむ「囲碁ガール」なる若い女性たちが急増中なのです。なんでも「集中力が養われ」たり「幅広い年代と対局を楽しめる」のがだいご味だと話しますす。ともあれ年配者の娯楽と思われていた囲碁は、確実に新しいファンを獲得しています。

さて今回は、その囲碁にまつわる話。名が示す通り19×19の格子が描かれた碁盤の上に白と黒の石を交互に置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争うゲームです。発祥は中国と言われ、日本には平安時代に入ってきました。源氏物語など古典作品にも数多く登場し、後に庶民にも広く普及しました。地域でルールの違いがあったり、ルールそのものに矛盾も存在しましたが、徳川家康の時代に家元制が設けられ、これを機に囲碁のルールは統一されました。

黒石に今も熊野(三重県)で産出される那智黒石を使うように、もともと碁石の原料は石(または木)でした。白石に美しい透明感を持ったはまぐりの貝殻が用いられるようになるのは明治初期。桑名(三重県)で貝殻が厚いはまぐりがよく取れたため、大阪に運ばれて碁石に加工されました。その後、桑名のはまぐりの産出量が減少、碁石の原料が枯渇しかけていた頃、大阪で碁石屋を営んでいた石橋小七郎は、富山の薬屋から興味深い話を耳にします。

「日向のお倉ケ浜という場所に変わった貝殻がたくさん打ち上げられていた」というのです。早速、番頭を調査に向かわせたところ、これまで見たこともないよ うな分厚いはまぐりの貝殻が、足の踏み場もないほど散らばっていました。それからというもの、番頭は毎日貝殻を拾っては、船で大阪へ送り続けました。原料不足が解消された小七郎はたちまちにして大阪一の碁石屋になりました。

日向はまぐり碁石発祥の地であるお倉ケ浜


この時、お倉ケ浜で貝殻拾いの日雇として働いていた者の中に原田清吉という人物がいました。小七郎の成功を目の当たりにした清吉は「これだけの利が得られるのであれば、自分が郷里日向で碁石屋を始めよう」と決意。すぐに上阪し、碁石屋で職人として腕を磨き、一流の碁石工となって帰郷。自宅で碁石屋を開業しました。清吉がこの地で作ったはまぐり碁石は、後に日向の特産品として知られるようになりました。

貝殻に込められた美を引き出す

お倉ケ浜で取れるはまぐりは、正式にはスワブテ蛤といいます。「スワ」は「ツバ」がなまったもので唇のこと。「ブテ」は「太い」なので、唇が太いはまぐりということになります。確かによく見かけるものとは比べものにならないほど貝殻が厚くなっています。碁石の原料が取れる厚さになるまでに40年は掛かるといいますが、生きた貝から作る碁石は目が荒く割れやすい特徴を持っています。そのため、碁石の原料は主に砂中深くにうずもれて化石化しているものが使われます。スワブテ蛤の化石はどういうわけかお倉ケ浜とその隣のお金ケ浜でしか見つからず、その理由は今もって謎です。



が、かつては海岸の至る所にあった貝殻も昭和43年頃から枯渇し始め、今はほぼ掘り尽くされてしまいました。現在、原料の主力はメキシコ産のはまぐりです。日向産スワブテ蛤の場合、1枚の貝殻から1個の原料しか取れませんが、巨大なメキシコ産からは1枚で6個も7個も取ることが出来ます。

昔はすべて手づくりでしたが、現在はほとんどの工程が機械化されています。

最初の工程はくりぬき作業。機械を使うとはいえ碁石に最も適した部分をくり抜くには熟練の技がいります。ここでくり抜く場所を誤ると、碁石としての価値が格段に下がってしまうのです。貝殻をドリルに通すと、直径約22mmにくり抜かれた碁石の元が現れました。昔なつかしい錠剤タイプのラムネ菓子を思わせる形状です。黒石となる那智黒石もこの状態で日向にやって来て、白石と共に一つひとつ丁寧に研磨機にかけられ、碁石の形に整えられていきます。研磨の工程は、粗ずり、中ずり、仕上げの3段階に分けられ、日向産スワブテ蛤に限り最後の仕上げは伝統工芸士の「手ずり」に委ねられます。十分な厚さを持つメキシコ産とは違い、日向産は余計な部分を削らないよう、どうしても職人の手作業が必要となります。



この後、過酸化水素水に2昼夜浸し、天日を浴びると白さがグッと増します。最後に、研磨剤や水と共に5000~6000個の碁石を木樽に入れて6時間ほど回し続けると、碁石と碁石が摩擦しあい、美しい光沢を持ったはまぐり碁石が完成します。

ファン垂涎の碁石と碁盤

研磨された乳白色の碁石は、光沢がなめらかで手触りが優しく、美しい縞目模様が出て来ます。日向産もメキシコ産もほとんど同じ工程を経て碁石となるため、素人目に両者を区別することは困難です。強いて言えば日向産はメキシコ産に比べると縞目模様が細かくなっています。碁石の質の善しあしは日向産の場合、純白さの程度で上から雪・花・月の3段階に分かれ、メキシコ産は縞目模様の細かさの度合いで雪・花・実用の3段階に分かれています。

そしてそれぞれ厚みのあるものほど価値が高くなります。32号(8.8mm)から36号(10.1mm)がほど良い厚さとされ、名人戦には36号前後が使われます。日向産で最も厚いのが40号(11.3mm)。碁石のサイズがなかなかそろわないため、これまでにたったの5~6組しか作られていません。メキシコ産を使った45号(12.8mm)といったほぼ球体に近いものがありますが、実戦には向きません。こうした厚ものは、中国のお客さんが贈答用に購入していくことが多いそうです。程良い厚みのある碁石を碁盤に打ち込んだ時、石がぷるぷると震えるのが、分かる人にはたまらないといいます。

また、石を打った音の響きが良く、弾力性があるため長時間打っても疲れにくいのが「日向かや碁盤」。碁盤材として最高の素材とされる日向かやで作った逸品です。5年以上の歳月を掛けて自然乾燥させたかや材を使い、盤材の加工から手彫りの脚まで100%職人が手作りで仕上げます。

「日向はまぐり碁石」と「かや碁盤」。囲碁ファン垂涎の的であるこれら本物に触れることが出来る催しが毎年1度日向市内で開かれます。日向はまぐり碁石まつりは、日本全国の棋士が集まる囲碁の祭典。はまぐり碁石とかや碁盤の確かな感触を楽しみながら、対局で腕を競い合うという産地ならではの催しです。今回で第23回目を数えますが、いまだ囲碁ガールの参戦はない模様。次回以降の動向が楽しみです。

2012年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

写真説明

●日向はまぐり碁石発祥の地であるお倉ケ浜:ウミガメの産卵地で、サーフィンのメッカとしても知られます



●色彩や形、光沢、縞目模様、傷などを慎重に点検し、雪・月・花などランク別に分類されます


●下書きに沿って日本刀の刃に付けた黒漆を盤面に盛りつけていく太刀盛りの工程

●碁盤となる日を待つ乾燥中のかや材

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