日本家屋の象徴、畳表のふるさとを行く - 八代

織り師の岡初義さん。自身が育てたい草と共に

生産量と作付面積は日本一

熊本県南部の八代市は、県下第2の人口を有する田園工業都市です。日本三大急流の一つである球磨川が注ぎ込む八代海(不知火海)に面する八代平野の北部に市街地が広がっています。平野の半分以上は江戸時代から近代にかけて干拓によって造成された土地で、全国でも有数の高い生産性を誇る農業地帯です。米やトマトの他、畳表の原料となる、い草の産地として知られます。

熊本県のい草栽培の歴史は500年も前にさかのぼります。1505年、八代郡千丁町の城主が、水辺などに群生していた、い草を農作物として栽培したのが始まりです。江戸時代になると、細川藩の貴重な特産物として栽培が奨励されるようになりました。その後、八代平野一帯は生産量と作付面積で共に全国の約9割を占める一大産地に成長しました。

今更説明するまでもありませんが、わらを圧縮した下地のわら床を、い草で織られた畳表で覆ったものが畳です。和室の床に用いられるこの伝統的な床材は、世界に例を見ない、日本で独自に発達してきたものです。鎌倉時代までは板床に敷くクッションのような使われ方であったようですが、室町時代になり書院造の建物が登場すると、部屋全体に畳を敷くスタイルが確立され、茶道の拡大に伴って普及しました。とはいえ畳は当時から高価なもので、普及したとは言っても寺社を始め公家や侍の家屋でのことです。日本の一般家屋の床は依然板張りで、い草を織ったゴザやムシロが使われました。畳が広く一般家庭にまで普及するのは第2次大戦後のことです。

畳が市民権を得たのは、やはり日本の気候・風土に適したものだったからだと推測されます。畳表は、梅雨などの高湿度期には水分を吸収し、冬の乾燥期には水分を放出することで湿度調節の役割を果たし、居住空間を快適に保ちます。この機能の秘密は、い草の内部にあります。い草の内部にはスポンジ状の組織があり、そこに含まれた水分が空気の状態によって放出や吸湿を繰り返します。まさに天然の除・加湿器です。また、よく見ると断面のスポンジ組織は六角形のハニカム構造になっているため、弾力性に富みながらも強度に優れ、床材に最適な素材であることが分かります。天然素材として優れた特性を持つい草は畳に加工される以外にも、スポンジ部分に油を染み込ませ、和ろうそくやあんどんなどの芯として使われていました。そのため、い草はまたの名を「燈芯草」といいます。

刈り取りの直前

晩秋から始まるい草栽培の1年

い草の束
い草の植え付けが始まるのは11月下旬。気温10度前後に下がった頃、家族総出で作業を行います。植え付け用の機械で、苗がセットされたポットを水田に植え込んでいきます。1カ月掛けて準備したこのポットは、切り分けた苗の株を人の手で一つひとつ植え込んだものです。機械化が進む一方で、こうした手作業は、い草栽培に欠かすことは出来ません。

4月中旬、伸びたい草の先端をあえて切りそろえます。この「先刈り」を行うことで一度い草の生育を止め、新芽が出るのを促します。この時、1月に一度抜いた水を再び水田に張り巡らします。茎の間を常に熱気と湿気がこもった状態に保つことで芽はグングンと伸びます。い草栽培で最も重要なこと、それは「茎をいかに長く伸ばすか」なのです。

「栽培方法が今ほど確立されていなかった江戸時代、い草は伸びても1~1.2m程度でした。それが肥料などのおかげもあって今では1.5m近く育ちます。長いい草が安定的に確保出来るようになったのは、昭和に入ってから」
と説明するのは、い草織り師の岡初義さん。

短いものは畳表にした時、先の赤くなった部分や根元の白い部分が含まれてしまいますが、長ければ草の真ん中のいい部分だけを使うことが出来ます。そのため、長いい草ほど上級品として扱われます。

刈り取りが始まるのは6月中旬頃からです。い草農家にとって1年で最も忙しい時期の到来です。い草にダメージを与える強い日差しと暑さを避けるため、夜明け前と、夕方から日没までの間に刈り取りが行われます。茎を傷つけないようにゆっくりと丁寧に収穫されたい草は、乾燥を早めるのと、日焼けを防止するために染土で泥染めした後(岡さんはこだわりから、泥染めの工程を省いた畳表を作っています)、機械で半日かけて乾燥。日焼け防止のために袋詰めされ、畳表として織られる日を倉庫の中で待ちます。

見直したい、畳のある生活
植え付けと刈り取りの2カ月間を除くと、い草農家の仕事の大半は畳表を織ることです。い草を作って終わりではないのです。

「かつては産地からい草を運んで、消費地で畳表に加工していましたが、それがいつしか、問屋が産地で畳表に仕立ててから、消費地に卸すようになりました。実際は生産農家が、い草を織り、現在もこの形態が続いています」(岡さん)

畳表の切り分け
一時は1日織れば10万円の売り上げになりました。たくさん織れば、それだけ売り上げ増につながるため、朝の3時から織り始める人もいました。

最盛期の1989年には、八代のい草農家の売り上げは540億円にも上りました。価格が高かったため、かつては「青いダイヤ」とまで呼ばれ、八代の農業だけではなく、経済をもけん引してきました。そんない草ですが、近年は生活様式の変化と、価格の安い中国産が台頭してきたことで、作付面積が最盛期の10分の1近くまで激減。7000戸あった生産農家も、2010年には700戸にまで減少しました。現在、国内で流通している畳の約8割が、中国産です。

い草をとりまく状況は依然厳しいものがりますが、明るい話題も聞こえてきます。安価な中国産のい草に品質で対抗するため、国産の切り札として熊本県が10年を掛けて開発した優良品種「ひのみどり」の製品化です。

ひのみどりは、従来のい草に比べて茎が細いため、肌触りの良いきめ細かな織り方が可能になります。人気の高い琉球畳や縁なし畳にも最適で、部屋の広さを選ばない半畳の置き畳という形態をラインアップに加え、新たな市場を開拓中です。

また、ある研究結果で、い草に含まれる成分には子どもをリラックスさせ集中力をアップさせる効果があることが分かり、八代市内の小中学校で校舎に畳スペースを設ける動きも出てきています。若いうちに畳のある環境を体感してもらうのがねらいです。

身近すぎるがゆえに、私たちは意外に畳やい草のことをよく理解していないのかもしれません。この機会にぜひ、畳のある生活を見直してみてはいかがでしょうか。

2011年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)

写真説明

●刈り取りの直前:い草が倒れないように張り巡らしていた支えの網を外すと、波打つい草の海原が現れました
●い草の束:畳1枚で約4000〜5000本のい草を使うそうです
●畳表の切り分け:生産農家から納められた20m(10畳)分の畳表を1畳分ずつ切り分けます


●漢方薬として飲用されていたい草。その効用に注目し、最近では粉末状にしたい草がさまざまな食品に利用されています

●市内には校舎に畳スペースを設ける小中学校も少なくありません(撮影協力:八代市立第八中学校)

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