自然の恵みに感謝して、海に暮らしを賭ける志摩の海女漁 - 志摩
海女小屋での至福のひととき
複雑に入り組んだ入り江や大小の島々が点在する志摩半島は、素潜りでアワビやサザエをとる海女漁が盛んな地域。自らの肉体と知恵を頼りに獲物をとらえる海女漁は『万葉集』にも登場する原初的な漁であるが、その頃から大きく形を変えることなく現在まで続いています。
太平洋に面した半島の東海岸。海に沿ってポツンポツンとトタン屋根の小屋が建っているのが目に入ります。そのうちの一つの小屋にウェットスーツ姿の女性が連なって入っていくのが見えました。女性たちは、その日の漁を終えたばかりの海女さんたち。小屋は海女小屋と呼ばれる彼女たちの休息場です。中には、ものすごい熱気が充満していました。見ると部屋の真ん中には巨大なストーブが置かれ、一人の海女さんが薪をくべていました。
「海女はね、地獄の商売と言われるの。海の中で収縮した血管を元に戻すために、どんなに外が暑くてもこうして火に当たらないといけないから」
と、その海女さんが教えてくれました。少なくとも1時間半はじっと火に当たらなくてはならず、これがなかなか大変なことなのです。それでも海女たちは「海女小屋は天国」だと口をそろえます。
「日常の生活から解放されて、気の合う仲間と話し合ったり、食べる物を分け合ったり、楽しいことも辛いことも分かち合えるのが海女小屋なの」
仕事が終わった後、ここでの団らんのひとときほど、楽しくくつろげる時間はないそうです。
徒人と舟人、二つの海女漁
志摩の海女漁といえば、なんと言ってもメインはアワビ。県の規則で元日から9月14日までと漁期が定められていますが、地区によっては更に漁期を規制しています。市内のある地域では3月16日がアワビの解禁日でした。また、漁協によっては、潜水の日数や回数、時間制限などを決めている所もあり、資源を絶やさない取り組みが徹底されています。
漁の方法は2種類あります。一つは、木製の磯樽を浮きにして5~8mと比較的浅瀬を自力で潜水して漁を行う徒人という方法。徒人は陸から泳いで漁場に出る場合が多いのですが、漁場が遠い地区では舟に乗り合い沖へ出ます。桶を持って大勢で泳ぐ海女の姿はポスターや絵はがきなどで紹介され、志摩の風物詩として知られるようになりました。最近では、磯樽に代わってタンポと呼ばれる発泡スチロール製の浮輪が使われています。
もう一つの漁法は、他の地域には見られない独特の舟人と呼ばれるもの。亭主が海上で舟を操り、女房が海に潜って漁をするため「トトカカ舟」とも言われます。徒人とは違って水深10~15mまで潜って漁を行います。一度の潜水で海女が海中にいられる時間は平均して50秒。見つけたアワビやサザエを手に持った袋に入れ、頃合いを見計らって合図を送ると海上の亭主が女房の腰に縛りつけられた命綱を引き上げます。女房は息継ぎをしてまた潜っていきますが、潮の流れがある時はわずかな時間で舟の位置が変わるため、海女が海中の同じ場所に戻ることは難しくなります。だから亭主は遠くにある山などを目印にして自分がいる場所を確認し、先程いた場所に正確に舟を戻します。亭主が良い漁場に舟の位置を保つので、徒人に比べ漁獲量ははるかに多くなります。が、舟人は夫婦の呼吸がぴったり合わないと出来ない漁です。夫婦喧嘩でもしようものなら、まるで漁にならないこともあるそうです。かつては夫婦舟で漁をする海女さんも多かっのですが、亭主に先立たれるなどして、最近では舟人の漁を見掛けることはほとんどなくなりました。
すばらしきかな海女人生
一度の漁はおよそ1時間半。午前と午後に1回ずつ行うのが一般的です。獲物はキロ単位で漁協が買い取り、それがそのまま海女の報酬となります。アワビにもいくつか種類があって、中でもクロアワビが6000~7000円といちばん高く売れます。一度の潜水で2~3個のアワビがとれることもありますが、どんなベテランでも全くとれない日があるというからなかなか厳しい世界です。たくさんとるには、獲物がいそうな場所を予測する知恵、そして確実にとる技術が必要です。アワビは、岩にくっつきながらも少し浮いている状態でいることが多く、この時に素早く岩とアワビの間にノミを入れ、身を傷付けることなくはがさなくてはなりません。アワビは一度岩に引っ付いていてしまうと、ノミを当てても全く動かないのです。
それに天気次第で漁が出来ない日も多いのです。漁期は半年間と決まっていて、その上天候に左右されるとあれば、とうてい海女漁だけでは食べていけません。だから昔は半農半漁の生活が普通でした。朝、漁に出る前に田畑の世話をし、朝食を作って子どもを学校に送り出してから漁に出て、家に帰って来てまた畑仕事、その後に夕食の準備が待っています。
「昔はこの辺に住んでいる女性の多くが、『海女さんの稽古をしろ』と周りの大人に言われて育ってきたから、職業に海女を選ぶことは自然なことでした。だけど今時、誰も海女になろうとしません」とは、海女歴50年の松井百合子さん。
戦後間もない頃には志摩半島全体で6000人を超える海女が活躍していましたが、高齢化や後継者不足もあって現在は最盛期の6分の1にまで激減しています。30歳代で現在稽古中という海女もいますが、現役で活躍する若手と言えば60歳代となる。新たに海女になろうとする人はほとんどいませんが、明るい兆しもあります。3年ほど前から地元のインターネット新聞で、海女歴5年の清水健太さん(22)と、海女歴4年の杉山裕介さん(28)がイケメン海女として紹介されるようになりました。女性のイメージが強い海女ではありますが、実は男性の活躍も目覚ましいものがあります。2人ともスキューバダイビングの経験を通じて、その技能を生かせる海女を職業に選んでいます。
一方、海女の経験から新しい仕事を享受しているのが、前述した海女歴50年の松井さん。伝統の白い磯着に身を包み、志摩の海でとれた魚介類を炭火で焼いて食べさせる観光施設で働きだして5年になります。
「海女をしていた頃は働くので精いっぱいで、無我夢中で生きていた。一生こうして過ごしていくのか、と気が滅入ることも時にはあった。だけど人生を振り返ってみるとやっぱり海女をやっていて良かったと思う。若い人でも働く場がない時代、海女をやっていたからこそ、こうしてお客さんと対話出来る今の自分があるのだから」
御年80歳になる松井さんから、普段なかなか聞けない海女漁の話を聞きながら食べる海の幸の味わいはまた格別です。
2010年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)
コメント
コメントを投稿