人々を神代へ誘う、鎮守の森の神楽舞 - 浜田
人々を饒舌にする石見神楽
あの話になると浜田の人たちは老若を問わず熱く語り出します。特に若者があまりに熱中するため、ある心理学の先生が不思議に思って、彼らの行動を研究し始めたといいます。
彼らを熱くするあの話とは、「石見神楽」のこと。島根県西部の石見地方と呼ばれる地域に古くから伝わる郷土芸能で、その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる舞です。江戸末期までは神職による神事でしたが、明治初期に氏子が舞うものとなり、これを機に石見神楽は大衆芸能への一歩を踏み出します。
石見地方の中心都市である浜田市には、この石見神楽を演ずる団体「社中」が50近くあります。子どもの頃から社中に在籍し、石見神楽に親しんできた亀谷利幸さんによると「鎮守の森の奉納舞として村々で舞われていた神楽が、1970年の大阪万国博覧会を機に大きな転換を迎えた」といいます。
多くの神社で伝統的な奉納神楽が行われる一方で、万博を機に神楽のイベント化が進みました。効果音や視覚的な要素が取り入れられた神楽は、誰が見ても楽しめる出し物となったのです。
「最近は、大ホールなどでイベントとして行われる機会が増えていますが、石見神楽の雰囲気を味わうなら、土地々々の神社で夜を徹して催される奉納神楽を体感するのがいちばん」
と亀谷さんは話します。
神社の秋祭りの前夜祭として夜通し舞われるのが本来の石見神楽の姿。神楽殿の客席に上がって、裸電球の下で見る神楽はなかなか趣があります。
とはいっても最近は、騒音の問題などで夜通し神楽が行われる神社はずいぶん減りました。それでもどの社中も夜の7時から午前2時頃までは神楽を舞います。夜神楽の独特な雰囲気を味わいたいという観光客も多く、町の小さな神社に観光バスが乗り付けてくることもあります。
10月25日、市街地から少し離れた佐野八幡宮で夜通しの奉納神楽が行われるというので見学してきました。
真夜中に響くエイトビート
いつもなら午後10時から翌朝6時まで神楽を舞う佐野社中ですが、この日はアメリカからのツアー客などが入ったため特別に2時間前倒しで奉納神楽を舞いました。最初の演目は、浜田では演じない社中はないと言われるほどポピュラーな「塵輪」。外国から大軍を率いて攻めてきた塵輪という翼を持った悪鬼を、仲哀天皇が退治するという話で、二神二鬼の4人による激闘が見どころです。舞子の身振りが大きくはっきりしているので内容もつかみやすいようです。それに囃子のテンポが小気味よいので飽きずに見続けられます。
石見神楽の舞調子は、もともと緩やかな6調子のテンポでしたが、明治の初期に8調子といわれるエイトビートのリズムが取り入れられました。石見人の気質にかなったのか、それ以後、8調子は石見神楽の代名詞となりました。
「私らが習った頃に比べると、同じ8調子でもどんどん速くなっている。あまりゆったりしていると飽きがくるのでしょうね」
と亀谷さん。
続いては、やはり石見神楽を代表する演目の「大蛇」が演じられました。アマテラスオオミカミの弟神であるスサノオノミコトが、頭が八つ、尾が八つ、長さは八谷にもまたがるというヤマタノオロチを退治するという、よく知られる話です。
大蛇を演じる舞子は、長さ18mにも及ぶ「蛇胴」という提灯のような胴体を上手に操って、腹ばいになったり、膝で歩いたり、立ち上がったりして終始大蛇に見えるように動き回ります。本来、8頭の大蛇が登場する話ですが、一度に8頭が舞える広さの神楽殿がないため4頭で演じられることが多いそうです。スサノオノミコトが最後に残った1頭の大蛇にとどめを刺すと、どこからともなく拍手が起きました。
「初めは後ろで見ている人も次第に引き込まれ、最後には前に来て舞を見ています。これこそが石見神楽の魅力」
と亀谷さん。神楽が好きでたまらないという表情で教えてくれました。
全国でも珍しい和紙の神楽面
石見神楽を通じて浜田と交流が多いのは、同じ県内の出雲地方よりはむしろ南の広島県だといいます。広島県まで範囲を広げると、石見神楽と同系統の神楽を舞う社中は実に300にも及びます。これらの社中が共通して使うのが、石見神楽面と呼ばれる和紙製の面です。
「日本各地に神楽がありますが、大半が木彫りの神楽面です。これほど多くの社中が一同に和紙の面を使うのは珍しい」
と話すのは、面師の柿田勝郎さん。
もともと石見神楽も木彫り面であったそうですが、大正時代に一度、庶民の間で急速に石見神楽の人気が高まって社中が次々に結成されました。この時、面の需要が一気に増え、木彫り面の供給が不足。そこで郷土の伝統的な素焼き人形である長浜人形の職人によって考案されたのが、漆工芸の脱活技法を使った張り子の面です。
「粘土で面の原型を彫塑し、柿渋入りの糊で和紙を幾重にも張り合わせ、和紙が乾いた後、粘土を壊すと面が出来上がります」(柿田さん)
木製と違って和紙の面は軽くて丈夫。アップテンポで激しく力強い石見神楽の舞にはかえって都合が良かったといいます。
柿田さんの元には、浜田市内を始め広島や山口方面の社中からも注文が入ります。社中からのオーダーは、表情の細かい所にまで指示が及びます。過去には「柿田さんが30代の頃の作風で」というオーダーもあったそうです。
「社中の人たちは長く使い続けた面ほど愛着を持っています。30年周期で作り替えることが多いが、同じ輪郭同じ表情を所望されることが多いので、昔の石膏型はすべて保存しています」
仕事場の石膏型を一つひとつ説明する柿田さんの表情は実にうれしそうです。そんな柿田さんを見て、やっぱりここの人たちは石見神楽が大好きなのだと確信しました。
2009年取材(写真/田中勝明 取材/砂山幹博)
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